日めくり詩歌 短歌 吉岡太朗(2012/11/01)

 サンダルをはいて出ずれば夜は優し夜の大きな頬に入りゆく

 山下泉「夜の頬」『海の額と夜の頬』

 目は口ほどに物を言うらしいが、その目が語り出す。
「お月さんやって思ったんやわ、最初はな。思うっていうか、思う以前に自然と浮かべてたっていうんかな。とにかく、ばかでかい満月やわ。「大きな」って書かれてるもんな。
 もちろん、どこにも月やなんて書いてへんし、連作の次の歌が「月の在処のわからぬ~」やから、実景として見たら、まあ明らかな誤読やねんけどな。
 イメージ的には、エスカレータに乗った人がそのまま月まで昇っていくみたいな。
 つーか、そんなはっきりしたイメージでもないかな。ここら辺、うまいこと言うんが難しいんよね。夢の内容を説明するみたいなとこがあって、はっきし覚えてへん上に、夢の言葉を現の言葉で語れるんかって問題もあるからな。
 まあそれはともかくとして、何でこんなイメージが出てきたかってことは、何となく分かるんよね。
まず「サンダル」からはじまってるやんか。その後に「夜」が出くる。足下の描写から、「夜」っていう大きな空間の描写に移り変わるわけね。ズームアウトしていく感覚ってゆうたらええんかな。結句の「入りゆく」も動きの描写やしね。その動きが何となく斜め上な感じなんよね。結局、何となくやねんけど。
ああ言ってみたけどやっぱり嫌やわ、こういう後付けの解釈って嘘っぽいから。
 まあとにかくそういうイメージを浮かべたわけで、そういうイメージを浮かべる一方で、ちゃんと言葉に即して読んでるところもあんねんね。不思議やな。感想って言葉にする時は一つやけど、それまでは三つも四つもいやもっと夥しい量の感想があって、それが渦を巻いて一個の印象を形成しとる。
 いや、どうかな。それもいざ言葉にしてみるとちゃうような気がしてきたわ。時間っていうのもあるしな。
そういえば感想ゆう時って、いつの感想をゆったらええんやろな。感想を言う直前のか、一番感動した時のか、わしとしては何となくやけど、第一印象ゆうのはないがしろにしたらあかんような気がするんよね、たとえ誤読でも。いや、どうなんかな。
 歌に戻ると、夜の空気の質感を出そうとして「頬」って言葉を使ったんやろな。後、「夜」を巨大な生き物に見立てて、アニミスムっぽい感覚も出そうとしとる。ゆうても崇高な自然っていうより、もっと可愛らしいアニミスムやけどな。絵本っぽい感じかも知れん。何せ、ほっぺたやから。「夜の横顔」とかやったら全く別の歌になってたんかな。
 だから実景として、夜の散歩の場面を浮かべるんが正しい読み方なんやろうけど、最初に見た月のイメージの残像が残っとって、やっぱりそっちの方がビジュアルとしては映えるんよね。だから意味として、景としては否定されても、イメージとしては残るっていうか。
 ひょっとしたらこれも作者の計算かも知れへんなあ。次の歌で月の存在が否定されてんのも、それと関係あるかも知れんし。まあその辺のことはどうでもええけどな。わしは口やなくて目やから」

(つづく)

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