戦後俳句史を読む (21 – 3) 赤尾兜子の句【テーマ:場末、ならびに海辺】③/仲寒蝉

茶色に乾くプールゴツンゴツンと蝌蚪息す   『蛇』

プールに卵を産んでしまった蛙、干上がりつつある水の底で孵ってしまったおたまじゃくし。何だか間抜けだ。「ゴツンゴツン」というオノマトペが兜子としては珍しい。それに抑もあの柔らかい蝌蚪にこのオノマトペは不似合いではないか。だが一方であの重そうな頭同士を狭い水中でぶつけ合う様子はまさしく「ゴツンゴツン」と言うしかないなとも思う。脚の出る前の蝌蚪は鰓呼吸の筈だから厳密には「息す」は不正確かもしれぬ。それでも必死で口をパクパクさせていると金魚でも蝌蚪でも「苦しそうに息しているなあ」と感じてしまう。

変色し乾いたプールが場末的だ。蝌蚪の出る頃のプールだから去年使われて一冬放置された後の、落葉やなんかも積もっている最も汚い状態。そう言えば筆者が小学生の頃住んでいた大阪の団地の近くに機動隊の基地があった。子供たちの間で「ケーサツ」と呼んでいたその一帯は高い塀で囲まれていたけれど悪ガキどもは楽々と鉄条網を乗り越えて中に侵入し遊び場にしていた。草だらけの原っぱはバッタやトンボの天国で毎日虫捕りに通ったが、汚いプールには一度ヤゴ(トンボの幼虫)を採りに行ったきり何だか怖くて近寄らなかった。そんな幼い頃のことをふと思い出した。

母亡くて父なくて蝌蚪を愛しいる

同じ『蛇』のもう少し前の年代の作にはこういうものもある。この「愛しいる」の主語は誰か戦争孤児かもしれない。しかし兜子も19歳で母、22歳で父を亡くしている。ここはやはり彼自身のことと考えたい。掲出句のような俳句を作る背景にはこういう兜子の蝌蚪好きがあったのかもしれない。

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