戦後俳句を読む (12 – 1) ―「記憶」を読む― 稲垣きくのの句 / 土肥あき子

詠はねば命かなしき籠蛍   『花野』

昭和54年(1979)8月号「俳句とエッセイ」にきくのは「想い出」というエッセイを寄せている。最近見た蛍養殖のテレビニュースから、亡くなった師久保田万太郎の作品「蛍」に思いを馳せる。戯曲「蛍」は、悲運な男女の死を予感させるラストを蛍籠で暗示させる。

冒頭の句にも、籠の蛍を見つめながら、せめてこの捕われの命を詠ってあげなければ救われない、と句帳を手に蛍火に向い合っている。まるで供養の経を写すような覚悟である。

さらにきくのにとって、蛍は特別な記憶を呼び覚ますものでもあった。

エッセイは、いよいよ過去へとさかのぼり、忘れられないあるできごとへと誘導される。

大正9年(1920)、きくのが女学生になった頃、幼友達に近所の田圃へと蛍を見に誘われ、躊躇なく同意する。そこで14歳の少女はゆらめく蛍火のなか、いきなり接吻をされたのだった。「いやっ」と少年を振り切ったきくのは

息もつかづに家へ戻ると、台所へ下りて柄杓の水でがぶがぶと気がすむまで口を漱いだ

とある。年表によると翌年クリスチャンとしての洗礼を受けている。そして、これが感じやすい少女時代の微笑ましいとすら思える経験で終わることなく、きくのの場合、その後結婚してからも男女に関する不潔感はつきまとったのだという。

幻想的な蛍火に惑わされた、あるいは思慕を募らせたあまりの計画的な行動だったかもしれない少年の想いに一切触れることなく、半世紀以上前経った今もまざまざとその忌まわしい感触に身をこわばらせる。多感な少女期の不幸な経験が、その後のきくのの並外れた潔癖さと、それにあらがうような、ときに退廃的な選択の原点となったように思える出来事である。

蛍火の明滅する業火となって、いつまでもきくのにねっとりとまといつく。

私は今でも接吻が怖くて出来ない

最後に置かれた一文は、「恋のきくの」にとってあまりに切ない告白である。

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