戦後俳句を読む(27-1)稲垣きくのの句【テーマ:流転】渋谷区千駄ヶ谷・三和荘時代/土肥あき子

止めどなき流転舌焼く蜆汁

昭和41年10月に上梓した第二句集『冬濤』は、春燈叢書第32輯350部限定で出版され、「春燈」1月号の広告欄では既に好評売切と出ている。そして、翌年第6回俳人協会賞を受賞する。万太郎を失った「春燈」にとってもきくのの受賞は朗報に違いなく、「春燈」誌上では新年会の様子として、きくの・真砂女が額を寄せ合う写真が大きく掲載されている。

くさめして受賞のことば夢にあらず  「春燈」昭和42年(1967)2月号

とクールなきくのが喜びを素直に作品として残しているのはめずらしいことだ。3月25日、俳人協会賞の受賞式では、同時受賞した磯貝碧蹄館の作品とともに会長の水原秋桜子から「よくもああ大胆に振舞えるものだと思う。それで少しも定型を踏みはずすことなく、本当に若々しい」(「俳人協会会報」1967.5)と賞賛している。

そして春、きくのは四谷左門町から千駄ヶ谷に転居する。冒頭掲げた作品は「春燈」昭和42年(1967)5月号に掲載される。ここで初めて今回のテーマとした「流転」を、きくのが自身で自覚し、言葉として使用した。赤坂福吉町を出て、三カ所目の転居である。

「流転」とは、流れ移ることという意味とともに、言外にそうならざるを得ない業のようなやるせなさを感じさせる。さらに「舌焼く」が蜆汁の熱さであることは承知しつつも、「舌」という部位が持つ独特のニュアンスが掲句の孤独に艶を加え、贖罪を求めるごとき行為に発展させる。

花冷やとゆき戻りつして二間
目刺やく隠るるごとく移り棲み

新住所は千駄ヶ谷2丁目、千駄ヶ谷駅から徒歩10分ほど。きくのが暮らした「三和荘」は静かな住宅街にあった。現在同じ場所に建つ「神宮外苑ハウス」の家賃は1LDKで178,000円。住みたいエリアの上位にランキングされている町だが、きくのにとってこの転居はどうも気に染まないものであったようだ。

引越前の「春燈」4月号には

足袋にアイロンあな憎き顔足袋になれ
掴まれし尻つぼ男狐しどろもどろ

が並ぶ。きくの作品のひとつの特色でもある辛辣で直裁なアプローチである。ともすれば毒舌と捉えられかねない表現に、巧みなユーモアによって愛らしさを際立たせる。

同年8月号では「渦潮・牡丹」と題し、鳴門の渦潮で24句、長谷寺の牡丹で29句と協会賞受賞後の作品を精力的に発表する。A氏の死によって解放されたきくのは引越とともに、その前後には

それつきりかゝらぬ電話菜種梅雨
別るゝやひれ振るごとく春ショール
火蛾の如まとひつく愚はあへてせじ

など、あらたな悶着とともに別れを予感させる作品が並ぶ。そして「春燈」10月号。

星飛んで未来永劫ひとに恋

やはりこれでこそ、恋のきくのの本領であろう。

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