戦後俳句を読む (19 – 2) – 「男」を読む -齋藤玄の句/飯田冬眞

男にはうすずみ色を恵方道

昭和52年作。第5句集『雁道』(*1)所収。

「男」を読み込んだ句は齋藤玄の後半生の句集には2、3例を数えるのみで、とりあげるべき句を探しあぐねて頭を抱えた。全句集全体にも収集の範囲を広げてみたが、これといったものが見つからない。そこで、ライフサイクルの中で、男だけが演じる役割の「父」の句から「男」について考えることにした。

日曜の春昼なれば父恋ふる    昭和17年作  『飛雪』
父の手に子供ねむたし椎の花   昭和17年作  『飛雪』

齋藤玄の父俊三は、二科会に所属した画家で咀華(そか)と号し、川端龍子などと交流があったというが、大正7年(1918)に若くして亡くなっている。玄が四歳の時である。幼少の頃、父親の結核療養のため小田原に移り住んだらしく、春の野にイーゼルを立てて絵筆を動かす父の傍らで、青空に浮かぶ雲を飽かずに眺めていた記憶があるという。一句目の前書には「亡父咀華の遺作一点を入手す、即ち掲げ」とあり、幼少時の記憶を手繰り寄せながら父の面影を遺作の中から探り出そうとしている男の孤独が〈日曜の春昼なれば〉によく描出されている。

二句目の〈父の手〉は、玄自身の手である。前年の昭和16年に長女が生まれ、自らも父親となったが、二十八歳の玄はまだ父親になりきれていない男だったようだ。〈椎の花〉の青臭さと乳臭い幼児とが、うまく響き合っている。眠る幼児を抱きながら途方にくれている若き父親の姿が浮かんできて、その心の柔らかさまでもが伝わってくる。

産声の框(かまち)のわれや蛞蝓(なめくじり)  昭和18年作  『飛雪』

次女が生まれたときの句。当時のお産は自宅に産婆を呼んだことが、〈框のわれや〉からうかがえる。ここでの框は土間から床への上がり口に水平に取り付けられる化粧材の「上がり框(かまち)」のことだろう。下五を〈蛞蝓〉で抑えているので、赤ん坊に産湯をつかわせるために、かまどのある台所で湯を沸かす役をしていたのかもしれない。なめくじは台所などのじめじめしたところを好むからだ。当時の台所は土間とひと続きであったことを考えれば、民俗資料としても興味深い。子供が生まれるのを待つときの男は、たいてい何もできずに框あたりでおろおろするだけのものである。

麻痺の子の矢車夜半を鳴り出づる  昭和25年作  『玄』
麻痺の子の行水あはれ水多し   昭和25年作   『玄』

この年、四歳になる長男が小児麻痺で左腕を不随にした。男の節句を迎えても不治の息子の将来を思うとき、素直に喜べず、悶々と眠れない夜が続いたという。その頃の玄は、銀行の職を辞したばかりで、妻の宝石類を売り食いするほどの貧困生活を送っていた。

雪に呷(あお)る焼酎耶蘇の鐘永し   昭和25年作  『玄』
西日に酌めば市井無頼と言はれけり   昭和25年作  『玄』

酒に逃げたといえばそれまでだが、そうするしかないときもある。これ以降、玄は父親としての視点で俳句を詠むことをやめる。そして、昭和26年、再就職を果すと、句作からも次第に遠ざかってゆく。「俳句は僕にとって、他に自己を通ずる要諦である」と『飛雪』の跋文で書いた玄が、句作から距離を置くようになったのは、おそらく父親として夫としての自身を復活させるために家庭生活に没入しようとの決意があったのではないだろうか。三度の飯よりも好きな俳句を断ち、他者との関係を遮断して、家庭人としてやり直す。それも男の姿勢として肯える。昭和28年に主宰する「壺」刊行を断った理由として、俳人たちの足の引っ張り合いや陰口をたたきあう浅ましさに嫌気がさしたことをあげているが、遠因としては、家庭を支える男としての役割を果すためではなかったかと思うのだが、邪推だろうか。

男にはうすずみ色を恵方道   昭和52年   『雁道』

〈恵方道〉とは、年初にその年の恵方にあたる神社仏閣に行く途中の道のこと。恵方は年神(歳徳神)がやって来るめでたい方角で、塞がりの方角に対する明きの方角をいう。〈うすずみ色〉は、薄墨色で、ねずみ色のこと。句意としては、幸せになる道を求めて歩むとき、男にとっては地味で目立たない薄墨色がふさわしい、とでもなろうか。平畑静塔は、この「を」を係助詞で、強調の「こそ」の意ととる(*2)が、文法的な裏づけに欠ける。なぜなら、どの古語辞典を紐解いても「を」に係助詞の用法が見当たらないからだ。間投助詞「を」であれば、強調の意はある。その場合は、あえて訳出しないことが多いようだ。

男と女の恵方への道はそれぞれ異なる。女のそれは明るい色を曳いている。男のそれはうすずみ色を曳いている。別に不思議はない。(*3)

自註をみると男女の恵方の受け止め方の違いを詠んだものであることがわかる。そこでの「男」は、父親、夫といった役割のない男本来の持つ「性(さが)」のようなものを言いあてているように思うのだが、どうだろうか。

亡父ひたにそびゆる夏の平かな   昭和54年  『無畔』

病床の中で玄は亡父の幻を夏の地平の中に見出しながら「父親」になりきれなかった自身をふりかえっている。やはり男は、女が母や妻になるようには、簡単に父や夫になることはできないのかもしれない。


*1 第5句集『雁道』 昭和54年永田書房刊 『齋藤玄全句集』 昭和61年 永田書房刊 所載

*2 平畑静塔 「『雁道』の手法」 『俳句』昭和55年8月号所収 角川書店刊

*3 自註現代俳句シリーズ・第二期16『斎藤玄集』 昭和53年 俳人協会刊

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