戦後俳句を読む(23 – 3) - 戦後における川柳・俳句・短歌     【テーマ:1946年】 / 兵頭全郎

(知恩院)父を待たせて鶯張を踏み直し  福永泰典 (1946年 『川柳京洛一百題』 番傘川柳社編)
(先斗町)先斗町遊びになれた足になり  住田双光

以前「花」の題の際にこの年代の作品に触れたが、百題もの出題が可能な京都という土地にあらためて驚かされる。終戦後一年の秋に、参加者129名、4660句が集まった大会の背景には、京都が空襲を受けなかったことが大きく影響していると考えられる。大西泰代氏の解説でも触れているが、このことは作品に戦後の時代色があまり反映されていないことにもつながっているようである。多くの成人が戦争に駆り出された中、父とともに行った知恩院の一場面は戦後に訪れたものか戦前の思い出か。先斗町は戦後まもなく再興を始めた花街だが、そこに一歩入った途端に歩き方が町に馴染む男の姿は「粋」の一言である。平成の目でこれらの作品を見るのと当時とでは格段の差があるだろうが、時代と隔離されたような京都の空気感が切り取られている。

(爆撃はげし)東京と生死をちかふ盛夏かな  鈴木しづ子 (1946年 『春雷』)
夫ならぬひとによりそふ青嵐

前回まで戦争による表現の抑制を書いてきたが、俳句・短歌と川柳とではやはり圧制からの解放感に差があるように思う。もちろん先の京都は別物としても、爆撃の中「東京と生死をちかふ」ような悲壮感は川柳にはなかなかでてこない。後にアプレーゲル俳人としてもてはやされる作者だが、それを伺わせる「夫ならぬひとによりそふ」という表現も、戦後すぐという時期を考えるとかなりのパンチ力である。これも繰り返しになるが、このような表現を川柳では、十数年後の時実新子まで待つことになる。

あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ  土岐善麿 (1946年 『夏草』)
いくたびか和平のときをこばみつつ敗れてつひに惡を遂げたり

短歌はさらにはっきりとものを言う。戦中には戦意昂揚歌もつくっていたという作者だが、妻からのこの問いかけは重く、またそれをありのまま作品へと昇華させた作歌意欲はそれまでの抑制からの反発でもあるだろう。「つひに惡を遂げたり」も、これまで言えなかったであろう軍部への批判を高らかに歌っている。

抑圧とか規制がはずれた後の反動は、創作活動において大きなエネルギーになることは間違いない。ある意味それは「自由」の表現とも言えそうだが、京都の川柳に見る自由な空気感、女性俳人が書く自由な恋愛、言文一致運動の一躍を担った歌人の自由な思想。いずれも現在へとつながるエネルギーの原点になっていよう。

戦後俳句を読む(23 – 3) 目次

戦後俳句を読む/「獣」を読む

戦後俳句を読む/「幼」を読む(第22回テーマ)

戦後俳句を読む/それぞれのテーマを読む

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