戦後俳句を読む (19 – 3) – 「男」を読む ‐                  戦後川柳/清水かおり

墓の下の男の下に眠りたや  時実 新子

(1929年~2007年・姫路)句集『月の子』所収

時実新子の句集の中で、川柳作家の評価が高いのは昭和53年にたいまつ社より出版された『月の子』である。昭和29年から52年までの代表的な作品を含む新子自選の833句が収められている。昭和62年発刊の句集『有夫恋』がベストセラーになり、時実新子の句集は広く購読された。他の刊行物と同じように全国的に販売路線を獲得した川柳句集というのは他にあまり例がない。時代の潮流に乗ったということもあるが、新子の川柳は言葉として人々の心に魅力的に響いたのである。

川柳界に女流という言葉が導入されたのはいつ頃だろうか。女流俳人という言い方はまだ時々耳にする。川柳では聞きなれない、ある意味商用的な雰囲気を持つ女流という言い方が意識されたのも新子の出現からであったように思う。この頃、女性が性を詠うことは短詩型文学界では別にめずらしいことではなかった。ただ、座の文芸として発展してきた川柳は男性中心であったため、奔放に自我を詠う若い女性川柳作家が注目の的になったのは言うまでもない。揶揄の目に曝されることも意に介さず新子は作品をどんどん発表していく。内容の話題性はともかく、言葉の使い方は絶妙なものがあり、川柳作家としての位置を揺るぎないものにしている。当時はどれほどの衝撃があったのかわからないが、現代の私たちが読むと、新子の作品はあくまで心情的な動きを詠んだもので、肉体感覚は薄く、短歌や俳句のほうが女性作家の大胆な表現に寛容であったように思える。世俗的なものであるはずの川柳が、世俗ゆえに男性本位な川柳表現から踏み出すことに遅れていたとも考えられる。これは、先の稿で兵頭全郎が触れた、他のジャンルの作家が高学歴の傾向にあったことと無関係ではないように思う。ジェンダー意識の改革が庶民の生活に反映されるまでにかかった時間を考えれば、論の少なかった川柳界では納得のいくことだ。現在、時実新子の句は男女に関わらず川柳初心者に必ずといっていいほど読まれている。メディアの力もあるが、先輩柳人が初心者に句集を紹介することが多い。それは新子の作品が現代川柳の幅を示す上でわかりやすいテキストになるからだ。サラリーマン川柳や新聞柳壇から新子句集を眺めると端的に川柳の方向性の広がりを感じることができるのである。

掲出句は『月の子』の巻末に収められた一句。「男」というテーマからすぐに頭に浮かんだ。「墓の下の男」という言葉には誰か特定の人を思わすような情念の装飾も勿論見てとれるが、それよりも「男」とは父性の持つ抱擁力のことを指しているように感じる。ここに詠まれているのは庇護を求める一個の人間像ではないだろうか。集中の章の見出しに書かれた年代と、新子らしい題がそれぞれ付けられているが、その中で目をひいた「かの子一平」では「かの子には一平がいた長い雨」という句に込められた羨望が窺える。女性の情念句といわれる作品を生み出しながら、『月の子』著者の言葉の中で、新子は「私は現実この世を女として生きた実感を持たない」と書いている。新子の思う女性像と作品に顕れる女性性の違いを新子自身はどう見ていたのだろう。句集に父の句がほとんど見られないのも印象に残る。一句の下層で捩れたり交叉したりしている性ははたして女性の性なのだろうか。

「墓の下の男の下」という表現は、すでに土葬の習慣を残していない現代の埋葬事情に反応する心理をうまく捉えていて、ロマンチシズムをくすぐられる句だ。

戦後俳句を読む(19 – 3) 目次

戦後俳句を読む/「男」を読む

戦後俳句を読む/それぞれのテーマを読む

相馬遷子を通して戦後俳句史を読む(1)

タグ:

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress