戦後俳句を読む(15 – 2) - テーマ「花」 -  戦後における川柳・俳句・短歌/兵頭全郎

福壽草松にしたがいそろかしこ  麻生葭乃(1955年『福壽草』)

今回のテーマである「花」にまつわる作品を探していたのだが、川柳・俳句・短歌とも戦後十年間にはほとんど花が出てこなかった。もちろん資料自体が各年それぞれ20句・首ずつなので偏りはあるのだろうが、逆に戦中(42~45年)の作品には頻繁に出てきており、当時の状況を想像することが出来る。つまり、まさに今戦争が行われている時にはどこか現実から目を背けたい逃避の視線があり、敗戦という事実のあとには貧困や虚無を見つめるよりほかなかったのでは、という具合である。そして、三分野ともに花が書かれたのが1955年、終戦からちょうど十年が経ったタイミングである。

「そろかしこ」とは手紙の候文に末尾「かしこ」、つまり「~候 かしこ」ということらしい。句集のタイトルになっているように「福壽草」の句は作者の代表句らしく、ネットで検索するとすぐにヒットする。松竹梅の松を男の姿に見立てれば、そこにしたがう福寿草は女であり夫唱婦随のすがたを表す、というのがおおかたの見方のようだ。だがそれでは「そろかしこ」を読めていない。この句はその夫唱婦随のすがたをある女性(作者?)が誰かに手紙で伝えている状況までを表しているはず。実家の親への便りとすれば安心して下さいということだろうし、夫婦不仲の知人へ宛てたものだとすれば「夫婦とはこういうものよ」という戒めの意があるのかもしれない。

川柳六大家の一人である夫・麻生路郎がこの句集の序で次のように書いている。「明治末葉の女性川柳家で今日まで続いているのは僕の記憶では葭乃ぐらいなものである。葭乃にしても僕と結婚していなかったら遠うの昔にやめていたのに違いない。明治時代には大たい女性は短詩型文学では短歌へ走った。葭乃と同郷の与謝野晶子などもその一人だ。次は俳句、詩という順序で、川柳を作る女性と言うと変な眼で見られるような気がして手をつけるのを惧れたようだ。

おそらくこの序列は、現在でも男女にかかわらず残っていると思われる。その一因として川柳においては「読解力」の圧倒的な不足にあると感じている。先に挙げたようにネットで検索してでてくるこの句の読みだけをみても、「そろかしこ」という言葉の解説と「夫唱婦随」というキャッチーな句のパーツには触れても、それらを一句の全体像として捉えた読みに至っていない。新聞の川柳欄の解説などをみても同様に単語の解説や部分的な解釈しかできていないものが多い。少なくとも私が読んでいる全国紙A新聞O阪版の川柳欄の選評はこんな感じである。明治時代から続くという「柳と俳・短」の差を埋めるには、単語の意味を知るというだけではなく、句そのものへの読解力の向上が不可欠なのである。

夜の芍薬男ばかりが衰えて  鈴木六林男(1955年 『谷間の旗』)

戦後の作品群を見ていると、俳句の中に川柳的感覚の句が結構出てくることに気づく。戦争という出来事への批判を根底に表現をすると、視覚からくる受動的感慨だけでなく内面から沸き立つ能動的な意思表明の意識が強くなることがあるのだろう。その延長上に掲出句のような作品があるのかもしれない。「立てば芍薬座れば牡丹~」というように、芍薬は美女の象徴である。「夜の芍薬」の妖艶さを描きながら「男ばかりが衰えて」という自虐的な感慨の吐露は、まさに従来の川柳的な書き方である。同句集にある

僕ですか死因調査解剖機関監察医  同

にも「~ですか」に自発的意志の表出が感じられるし、もちろん巨大な字余りの後半は川柳的くすぐりともいえる。これぐらいのユーモアは俳句にも元々ある、という反論を喰らいそうだが、今回資料などを読みながら得た率直な感想である。

何ごともなかったように一本の杉は季節の花をつけたり  山崎方代(1955年 『方代』)

「花」を探すことに苦労したといったが、特に短歌には花を詠ったものが少なかった。この作品でも主役は「一本の杉」の方であり「季節の花」が杉の花かどうかも微妙である。一本杉は地名にもあるように地域の目印や象徴になる。先の東北大地震でも一本残った松の木が復興の象徴とされているが、「何ごともなかったように」とはおそらく戦火を逃れたのであろう「一本の杉」。そこに今となっては花粉症のA級戦犯ともいわれる春先の杉の花か、お盆の季節あたりに供えられる花か、いずれにせよその周辺を過ぎた時間を書いたものであろう。淡々とした書き様ながらそこにある時間と空間の大きさをたっぷりと含んだ作品である。

花は種類によってそれぞれに強いイメージや意味を纏っていることが多い。桜、菊、百合、曼珠沙華…、柳俳の音字数ではその象徴性が有効に働く場合が多いが、短歌の長さになると単語として色々と語りすぎるのかもしれない。作品自体が多くを語りすぎるものは概ね駄作と言えるだろうから、その辺りのバランスの取り方が傾向としてこのように現れているのかもしれない。

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