戦後俳句を読む(17 – 2) - テーマ「風」 -  戦後における川柳・俳句・短歌/兵頭全郎

かの風の生れし葦は今日も折れぬ  片柳哲郎(1964年 『黒塚』)
風の夜は風の化身のお前たち    同

二度目登場いただいた片柳哲郎の句であるが、おそらく今の自分にとって読み易い、あるいは読み応えのあるものなのだろうと思う(もちろんテーマの言葉が当たる偶然もあるが)。先にも書いたが、花鳥風月の扱いは川柳と俳句ではかなり違う。川柳での「風」は気候・季節の匂いというより、動きであり力の象徴としての意味合いが強い。葦原を吹く風を感じながら「かの風の生れ」た所ととらえた、おそらく一本の「葦」の立ち姿を見つつ「今日も折れぬ」というたおやかさと生命力、さらには「かの風」が大空を闊歩する力強さを表現している。元気いっぱいに駆け回る子供とそれを見る母親のすがたを重ねることも出来るだろう。二句目、相米慎二監督の映画『台風クラブ(1985年)』を思い出した。句の作られた60年代といえばまだ、台風などが近づくと雨戸を釘で打ち付けて準備していたと聞く。電力も不安定なこの頃の「風の夜」の得も言われぬ恐怖感。しかし子供にとってはそのドキドキが胸の高鳴りとなって、何とはなしの期待感とか興奮状態に変化することがある。「風の化身」はそんな子供たちを見る目線だろう。これを「お前たち」と感じているレベルが読者にどう反応するかが、この句の肝となる。もちろん親の目線にレベルが合いやすいと思うが、『台風クラブ』での担任教師(映画ではこの教師の無責任さから台風の近づく学校に閉じ込められた中学生たちが乱痴気騒ぎで一夜を過ごす)から見た「お前たち」への感情を想像しても面白い。当然この読みは、作句時期とのズレから本来は無効であるのだが。

火の翼もてる言の葉秋の風  野見山朱鳥(1962年『運命』)

俳句における風は、私の印象では主体にはならずに、匂いとか流れとかいう背景になる。「ペンは剣よりも強し」という言葉があるが、「火の翼もてる言の葉」とはまさにこんな感じか。「秋の風」はこの先にある冬を予感させる冷たい風だが、時として火の勢いを強める乾いた風でもある。作中主体とその周辺(世間)との関係性と読んだが、ここに詠まれた風はやはり流れ移ろう存在のように感じる。

かへりみて風の寂しき起き伏しも吾が裡にして低き亜麻畑  安永蕗子(1962年『魚愁』)

解説に「前衛短歌」の文字がある。かなり抽象的表現を短歌に持ち込んだ作者のようだ。寒い地方で栽培される「亜麻」はリネンの原料となる繊維をとるため北海道で広く栽培されていたが、60年代半ばに化学繊維の台頭で栽培されなくなった(現在は食用油として再び栽培されている)そうだ。さて、その「亜麻畑」を「吾が裡にして低き」と詠んだ作者。寒冷地・高級繊維・農地の縮小…これらを念頭に置きながら「かへりみ」たとき、そこにある「風」の「寂しき起き伏し」を「吾」と重ねて抱いた感慨とすれば想像しやすい。ここで書かれた「風」は、どちらかというと川柳的に主体として扱われている。上の五七五と「低き亜麻畑」とは「吾が裡」で等しく繋がれているが、おなじような事柄を表す暗喩ふたつをひとつの歌に収めたことで、当時には却ってその意を読み取りにくくしていたのかもしれない。川柳の目で読むと、上の五七五はほぼそれだけで川柳としてくみ取れる。

今から5~60年ほど前の作品を見る上で当時「前衛」といわれたものを読むに当たっては、それ以前の価値観を知らないと何に対する「前衛」かがわからなくなってくる。特に短歌を考えると平安の頃より脈々と続いてきた変遷の中でみる「戦後」という時点と、川柳の250年ほどの積み重ねの中でいう「戦後」とには確実に違いがある。その中で「前衛」と呼ばれたものが単なる亜種になるか、その後の支流あるいは本流へと変わるものなのか。当時の作者はどれほどの自覚を持ってその「時代」を感じていたのか。そんなことを考えていると、現在の作家はどれくらい「今」を感じながら作品に向き合っているのだろうと思ってしまう。

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