4人の参加者による幸彦鑑賞7句③ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本 吟

ほとけおどけよる十一月のホットケエキ   『與野情話』(1977.沖積舎)

  

岡村知昭
いまこのとき、世の「ほとけ」たちを大いに「おどけ」させてしまっているのは、ホットケーキではなく「ホットケエキ」なのである。できたて熱々に表面に載せたバターが溶けてゆき、蜂蜜が垂らされ、となれば「ホットケエキ」そのものの美味しさは間違いなし。そこへ「ケエキ」との表記が絡めば、古き良きモダニズムの香り、さらには幼き日の思い出につながるノスタルジアの匂いが「ケエキ」の甘さとともに皿の上から漂ってくるわけなのだから、「ほとけ」たちが思わず「おどけ」てしまうぐらいに色めき立つのも、無理はないところなのである。

そのような一見歓びにあふれていそうな空間だが、いまは「十一月」。秋の終わりと冬の始まりの境にある毎日はどこかでおぼつかなさを感じたりもしていたりする。「ホットケエキ」に歓ぶ「ほとけ」たちの姿が、どこか虚ろに見えたりするのも、きっと「十一月」のせい。それはどこかで、自分がいまここで生きていること自体への虚ろさと重なり合っているのかもしれない。

中村安伸
一読して目にとまるのが「ほとけ」「おどけ」「ホットケエキ」の音韻的類似性であり、それこそが作句の出発点であったと想像される。その上で「ほとけ」が「おどけ」た結果が「ホットケエキ」であるという脈絡を読み取ることも不可能ではない。

「おどけよる」という関西弁にはなんとも言えないおかしみがあり、また、この表現から「ほとけ」が所謂仏陀のことではなく、死者の霊魂を指す土俗 的な言い方であると判断できる。

そしてなによりもこの句に嵌めこまれた「十一月」がよく効いている。十一月の空気、そのかわいた淋しさと透明感に包まれることによって「ほとけお どけよる」という刺々しいまでの諧謔がきらきらとした詩情に転化してゆく。「霜月」ではなく「十一月」として余分な古典的情緒を断ち切ったことを含め、この季語の選択から、攝津が句作にあたっての絶妙なバランス感覚を有していたことがわかる。このバランス感覚こそ一流の俳人とその他を区別 するものであろう。

堀本 吟
初出同人誌「黄金海岸1」(1974・4)《與野情話・その5》の15句。発表時「ホットケィキ」であったが、「ホットケエキ」と推敲の上句集に収録。他に「仏に帯そやから野蒜ほのむらさき」「封筒の口をねぶりてええ天気」など全句に関西弁を取り入れている。発表の逆順で編集されているので、これらは句集の最後の方に出てくる。「日時計」「黄金海岸」時代の摂津は二十代後半、若々しく方法的に多彩な実験期である。

句意は一読明快、クリスマスケーキというアニバーサリーアイテムを十二月のキリストに奪われた「ほとけ」が、「そんなんほっとけこっちはひと足先にホットケエキでさわごやないか」、とシャレっ気たっぷりにおどけている風景。しかし「ほとけ」「おどけ」「ホットケエキ(ほっとけ)」のリズミカルに口語調に。関西弁の効果が発揮されている。滑稽だがさすこしさびしい十一月の「ほとけ」。

大橋愛由等
私にとって像(イマージュ)としての〈ほとけ〉から聖性が剥落していったのは、花輪和一の漫画「慈肉」(『猫谷』収録、青林堂、1989)を読んで以降である。雲に乗った如来や菩薩が、崖の上にしつらえられた捕獲器に、餌である慈肉につられてつかまるのである。捕獲された〈ほとけ〉たちは、与えられた餌を貪り食うというあさましさで、動物なみにしか描かない花輪の奇想性に感動したのである。〈ほとけおどけよる〉もまた〈ほとけ〉をコケティッシュに描き、攝津幸彦の聖性に対する距離が伺える。それが〈十一月のホットケエキ〉とつながっていく。具体的な時制と家庭の温かみの表象である食べ物を〈ほとけ〉と対置させることで、新味な諧謔性を企図したのかもしれない。


(以上、本文は8月2日神戸まろうど通信より転載)

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「戦後俳句を読む-攝津幸彦の句」の記事

  

One Response to “4人の参加者による幸彦鑑賞7句③ /岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本 吟”


  1. 深谷信郎
    on 8月 13th, 2012
    @

     ①②③と読んできましたが、普段目に触れる俳句と大いに違うので、どこがいいのか分からない。便器の展示が現代彫刻の作品になることもあるのだから、その系統の俳句と思えばいいのかもしれない。
     俳句表現を規制する規則があるわけではないので、このような俳句が出てきても分からないと見過ごせばいいのだが、それもできない。何かひっかかる。
     四人の方の鑑賞を「風桶鑑賞」と名付けてみた。つまり、俳句の言葉を「風が吹けば桶屋が儲かる」というように繋げられればいいということ。うまく繋ぐことができれば、うまくいったという感情が湧き、それがある種の快感を生む。それがこの種の俳句を読むコツだと、当面考えました。

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