4人の参加者による幸彦鑑賞7句④ ―岡村知昭・大橋愛由等・中村安伸・堀本 吟

幾千代も散るは美し明日は三越 『鳥子』 平成24年8月11日

岡村知昭
 「散るは美し」。この断言からまず思い浮かべるのは「散華」という言葉。自分のためでなく、何か別のもののために自らの命をささげる行為への世論の称賛はいつの時代も、主義主張を問わず繰り返されてきた。だが「散るは美し」との数限りない讃嘆に対して、どこか醒めている目線も決して少なくはない。この一句においての「散るは美し」の断言は昂揚と冷静の間を行き来しているかのように、どこか宙を彷徨っているかのようだ。「明日は三越」との断言においても、同様の構造は見て取れる。モダニズム溢れるレトロな空間の象徴としての「三越」と、爛熟を極める只今の消費社会のシンボルとしての「三越」。「明日は三越」で地下食品売り場やバーゲンセールではどうもしっくりこない、だけどモダン東京は今や夢物語。ふたつの時間の狭間で「三越」はどこか居心地が悪そうだ。いくつもの意味を重ね合わせながら、最後には意味そのものを宙ぶらりんにしてしまう作者の手法は、自分そして社会のあり様の宙ぶらりんな部分を確実に捉え、間違いなく射抜いているのではないだろうか。

中村安伸
「散るは美し」から「明日は三越」への落差により、ジェットコースターが落下するときのような感覚を味わうことができる。それはむしろこの二つの フレーズが同一平面上に存在するからなのである。目視できる距離でなければ、その遠さを実感することはできない。おおまかに言うと、攝津独特の懐古趣味ということで一括りにすることも出来る。どちらのフレーズもある時代にあまりにも人口に膾炙し過ぎた結果、その時代と切り離すことができなくなったものである。なお後半のフレーズは「今日は帝劇、明日は三越」という対句のキャッチコピーがもとになっている。「三越」を残して「帝劇」を消したのは「散るは 美し」と音韻を揃えるためであると同時に、「帝劇」という名が「帝国」と「劇場」に分解され、国家のために美しく散る若者のイメージと重複してし まうのを避けるためでもあるだろう。あるいはあえてこのフレーズを隠すことによって、イメージを潜在させたといえるかもしれない。

 

堀本 吟
「幾千代も」花吹雪が永劫の時空をたゆたう。(「も」によってリズム的にも意味的にも、深い〈切れ〉が生じているが、「散る」を強調もしている)。繰り返される無残な散華こそもっとも美しい、とこの世に残された者の思いを言い切る中句。。初五中七と哀調を帯びたリズムが結句で一転、引用は、昭和十三年にはやった「今日は帝劇、明日は三越」、広告の文句である。本歌取りでそれまでの思念の世界と、都市文化に巻き込まれる風俗を対比。初五が独立した時空を描いているので、それ以下がひとまとまりの短歌の下句(七七)の役をしている。「シ」音を繰り返しながら「美し」と終止形、「三越」と名詞でとめたところに変化とともにひとまとまりの完結感が生まれた。それで中七は過去現在の両方に重なり重層化する。このように分節ごとに時制と世界が転じてゆき。人生と時間を貫く摂理が読み込まれる。攝津の最高水準の成果。また無季俳句の傑作だと信じる。

大橋愛由等
 都市のかなしい光景が拡がっている。山河のうつろいによって示される季節の変化=〈しるし〉を感応することで作品が成り立っているのではない。この俳句に描かれているのは、都市民の日常のささやかな自覚によって更新されていく都市の時と刻の重なり=〈しるし〉なのである。〈幾千代も散るは美し〉は、都市民による気づきによって、無機の集合体でありながらも生き物として活性する都市のありようを描き出している。続く〈明日は三越〉は、「今日は帝劇」と対になる往年のキャッチコピーを下敷きとして、都市生活者の快楽の一端を読み込んでいる。この句からにじみ出る〈かなしさ〉とは、〈散るは美し〉と認める〈哀しさ〉であり、都市民に消費の快楽の場を提供する〈愛しさ〉であるのだ。

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