第1回シンポジウム  第一部 資料

推薦作品抄



光森裕樹『鈴を産むひばり』(港の人)より

鈴を産むひばりが逃げたとねえさんが云ふでもこれでいいよねと云ふ

風邪。君の声が遠いな。でもずつとかうだつた気もしてゐるな。風邪。

高(かう)木(ぼく)の淡きこもれび自転車のタイヤに夏の風をつめをり

友人のひとりを一人の母親に変へて二月の雪降りやまず

それはレジストリに“Melissa?”といふ痕跡を残す

行方不明の少女を捜すこゑに似てVirus.MSWord.Melissa

ひたむきさが常にまとへる可笑しさのまざまざたるにわれは黙せり

或る友が世界に選ばれ或る友が世界を選びなほしたり、今日

だから おまへも 戦争を詠め と云ふ声に吾はあやふく頷きかけて

恥づかしくなき豊かさも貧しさも持ちえず歩く大空の底

致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ


野口あや子『くびすじの欠片』(短歌研究社)より

互いしか知らぬジョークで笑い合うふたりに部屋を貸して下さい

さみしさというばけものはひのおわりきみの番号ナンバーひきつれてくる 

ただひとり引きとめてくれてありがとう靴底につく灰色のガム

痛々しいまでに真白い喉仏震わせながら愛なんて言う

せんせいのおくさんなんてあこがれない/紺ソックスで包むふくらはぎ

待ち受けを空から海に変えている会いたくてしかたない夜である

言葉とかお前ほんとは嫌いだろきらいだろって闇を掻くひと

くびすじをすきといわれたその日からくびすじはそらしかたをおぼえる

雨降れば皆いっせいに傘ひらくはなやぎに似て去年こぞの片恋

肘にある湿疹ふいに見せるとき目をそらさない君がいたこと

くびすじをなぞるいっぽんの指があり私はかたん、と傾いていく


髙柳克弘『未踏』(ふらんす堂)より

ことごとく未踏なりけり冬の星

桜貝たくさん落ちてゐて要らず

つまみたる夏蝶トランプの厚さ

うみどりのみなましろなる帰省かな

何もみてをらぬ眼や手毬つく

くろあげは時計は時の意のまゝに

刈田ゆく列車の中の赤子かな

亡びゆくあかるさを蟹走りけり

洋梨とタイプライター日が昇る

ダウンジャケット金網の跡すぐ消ゆる


御中虫「第3回芝不器男賞受賞作品」より

じきに死ぬくらげをどりながら上陸

虹映る刃物振り振り飯の支度

結果より過程と滝に言へるのか

混沌混。沌混沌。その先で待つ。

季語が無い夜空を埋める雲だった

机を蹴る机を叩く私は蚊ぢやない

歳時記は要らない目も手も無しで書け

乳房ややさわられながら豆餅食う

この恋は成就しません色変へぬ松

夏の終わりに終わりはないあなたが好きだ


中尾太一『御世の戦示の木の下で』(思潮社)より

アトモスフィア

東京、洞爺丸が消えたころ、屋堂羅の神社で首をつって死んだ男がいる、と聞いた
東京、類縁の男が事業にとめどなく失敗していた、首をつって死んだと聞いた
東京、山村開発センターで戦艦大和の元乗組員の講演を聞いていた、夏休みでプールの帰り
だ、グラマンが呼吸のために浮かび上がる油の中の彼らを狙った、スクロール
東京、畳の上に蟻の行列の幻を見る祖父の手のことを最初の詩で書いた
東京、それ自体が失語を伴って現前する父の笑顔のおくゆきを探している
東京、ルビコン、アンフォルメル、雛罌粟、テクノクラート、知悉、跨線橋、バチルス、ノマド、劫初
東京、幾つの未決を越えているか、首都高速道路、東名自動車道路、名神自動車道路、中国自動車道路、国道二九号線、たいてい朝方に着くから夜は町の光は見えない
東京、深夜、白いTシャツを着て青看板だけを頼りに歩いている子供の集団を、ぼくは眺めていて、向うに野球場のボールと見まがうばかりの巨大な焼却炉が見えた
東京、傷は若さを止める、そして止揚されない、幾千にも枝分かれしていった局地へは赴かないが、幻影がそこにいる、それを壊しに行こうか、という餓鬼、ノマド、ルビコン、、跨線橋、バチルス、エトセトラ
東京、光なしで写真が撮れるか、と聞いた
東京、光なしで写真を撮ったと聞いた
東京、隣の酒屋の店主が見えないと思ったら癌で死んでいた、その前に家を改築したという。
その必要があったらしい、と聞いた
東京、教会の帰り道に聖者のファシズムを空想した、あと「透明な人類」へ架ける橋を想像した
東京、最終的に死を投企した第一層の時間軸のさいはてで経験されたさいはての死を苦悶する自己が人間存在であり、その自己をわれわれが救い得た確証を求め走る球体の外縁の、聖痕、そこから生える立木の、一葉一葉がかつてあり得ぬことと措定された現象の継続の光で濡れていること、その直覚が何年間もある


この世の罪を被る

馬は老齢だった
老齢の馬とは話をすることが出来る、それはほんとうのことだ
ジョッキーでは補えない何かを僕は持つ
馬だってそうだ、競走馬じゃないから昔の話をする
ちりばめられた真っ黒な瞳で地球の年齢を知ったり
もっとこっちに来てと
熱いほほをなでてやると父祖の言葉を目から流した、カリュ―
イグエス、マノス、ドミノ、テキエロ、これらはラテン語かスペイン語か馬語で
「この世の罪を被る」という意味だった
僕はさらに西へ向かった
この辺でホイットマンは民主主義をあきらめていたと思う場所には町が拓けた
ギンズバーグが山の中で書いた詩はべとべとの蜂蜜のにおいがした
そこに故郷がある、というをラテン語かスペイン語か馬語で話すと
イグエス
マノス
ドミノ
テキエロ
サラムニ
となり、これは「この世の罪を被る」という、含意だった
みんな、何かを含意していた
故郷に帰れない何かを含意していた
それを伝えたいためにカリューは馬語以外の言葉を覚えるが
疲れたろ
もう、ほんとに馬かよ、君は
ほら、あすこで立ちすくんでいる人がいる
彼はぼくよりずっと年下で、ずっと賢くてやさしいから
随伴を頼めばいい
一番初めに彼は、君の体についた汚れを
青いタオルで拭いてくれるだろう
互いに帰る場所が違っても
行ける限りのところまでは一緒に行けるように
長い夜のあいだにそっと朝の
善と悪に満ちた予感を埋めに行くことも
彼の仕事だ
彼は君のことを好きになる
じゃぶじゃぶと水遊びをしていた川からあがって
君の体を触りに行く
カリュー、君はそんな子供のことをどう思う?
君の行き先が変わることがないことを知っている
そんな子供の唇からこぼれる言葉を
低音のユニゾンで追いながら、いつか深い言葉で追い越して
イグエス、アノス、ドミノ
テキエロ、サラムニ、アイシテル
すべてこのよのつみをかぶるよ


大江麻衣「昭和以降に恋愛はない」(「新潮」7月号)より

夜の水

花に感動できません。乳首舐められても感動できません。どちらも自分は困らないけど、他人が困る。わたしは、おんなのひととして、色んなものが欠けているのだと、おもわれるのだけが困る。

 最近の女子高生はふとい脚にも痣みたいな唇のあとをつける、それが短い制服のスカートの裾から見えると吐きそうになる。男子の唇の痕は汚い。男はなぜこの女子の、今まで他の男が触れていないところを探さなかったのだろう、こんな太い脚の、ほんのちょっとに、汚い痕を、蚊のように、他の男が吸っただろう場所の上に、情けない、他のものが触れていない場所に興味がないなんて、全てに唇を触れようとすればこの女子の体はもう全部赤褐色になって本当に醜いのだけれども、そんな姿だったらわたしは感動して話しかけたい。
いやあもう本当醜いけどなんて素晴らしいこと!だけどまあ男子女子はそんなんで満足するのだった。そんなものでそんなもので、だから恋愛はだめだ、昭和以降に恋愛はない、街はいつでもばかみたいにセックスにしかみえない男子女子が連れ立って歩く、みんな死なないといけない。
そんな今の世の中でも海鼠はすてきだ、ただ、砂の上でじっとしていて、手で持つだけなら、それでもじってしている。感動はしない。神様、アダムは土からうまれた、土とは砂のことで、まずは性器から作ったのでしょう。粘土で作りやすいかたちをしているものね、てきとうに丸めたり伸ばしたり、そこから発生したのでしょうね、人間は。なので、海鼠はほんとうのほんとうに、最初の生きものなのかもしれませんね。
「そうだね、海鼠は手で握ってみて、振るとだんだん硬くなってくるよ、中から白いのがびゅっと出てくるから、ね、海鼠。形質と質量がね。あんたさ、海鼠ばっかり触ってないで、自分が乳首で感じられないことについて、もっと真剣に悩んだほうがいいんじゃないかな。ただでさえ汚いんだから」
 君の考えからすれば、海鼠なんか人間の出来損ないだ(といって私の胸をさわる)、わたしはおんなだから、海鼠を料理せずにそのまま口に入れたり、さわったりしたいと思うのは、当たり前だということ。おんなも、たどっていけば海鼠から生まれた。人間が粘土にもどるる時、人間は砂に還れても海鼠にはもどれない。海鼠はただ海鼠としてじっとしていて、振られることもないから硬くなることもない、ただ何にもならずにずっと、海鼠だけがみたいな、そんなことをしていても、置いていかれないような、生きていられるような、感動はせず、ただじっと、海鼠を、みつめる。

(胸と、)腰以外を好きになってくれる男でもいたらいいな、だいたいがみんなそれを必死でこねる、発達しない。女子はひとりの夜いつも自分で自分をおしまいにする、自分でこねているとこの奇妙な形の性器一帯は粘土みたいに思えてくる必死でこねている、いやになる、作業。セックスはひとつとひとつの作業、だいたいが一人で持つ。みんながこうやって、こねているのだから…やさしいひとの顔さえも変な顔にみえてくる、怯える。そのひとが自分からいなくなってしまう!男はいいように触るので、その形は自分で直すしかないのだから、女子が性器をいじるのはそういうこと。粘土をやわらかくするには水がいる。女子の水は体内から外へそっと出る、
夜に。


金魚すくい

新聞の投稿覧を眺めていると金魚くさくなる。いつのまにかポイまで持たされていて朝からたまらない。みんな水面のほうを泳いでいる。言葉は活字になって水をゆらす。赤いのと黒いのが泳ぐのをみている。小学校三年生女子『家事の大切さを知り、母親に感謝』。母親は娘に作文を書かせた。「ゆいました、じゃなくて、いいました、と書きなさい」原稿用紙には大人の字がだんだん増えていくので書きなおす。宛先は、母親がえんぴつで下書きしたものの上を娘が油性ペンでなぞる。すきまが余り無くむずかしい字はいびつな丸になる。水面にうかぶ。担任の先生が朝礼の時間に記事を読みあげる。水槽を通さないクラスメイトの目。抑鬱、ということばを少女はまだ知らないし読めないが、気持ちのうえではわかる。将来詩を書くことになる金魚はいらないのだと、見送る。夏頃になると、六十四歳男性『女性の露出、性犯罪を誘発』。数週間後にばしゃばしゃと反対意見が掲載される。よく見ると黒いのに白い斑点がある。金魚を選別しているところを見てみたい。言葉を声にすれば空気は割れるし書けば汚れる。傷つかないものがない。金魚は苦しいのか空気を吸いにきている。ポイを入れれば水がまた波打って金魚は逃げる。私も下手くそなのだ。金魚を乗せたポイはたちまち破れて金魚は逃げた。「元気をもらった」「若者よりも大人が」「夢」「乗車マナー」「政治」だとうまく逃げるが「最近のネット右翼について」「肥満は不快」「死んでみたいな」は、沈んでいるのか見えない。水の流れなど知るわけがない、見ているぶんにはきれいだね。透き通っていてどこからでも眺めている、まなざしだけがある。宛先はたまにしか載らない。それでも毎日金魚は生きていて水をかき回している。


パネラー自選作品


佐藤弓生 自選

レストランみずうみの面に照り映えてよそ者でいることのたのしさ

かんたんなものでありたい 朽ちるとき首がかたんとはずれるような

わたしかなしかったらしい冷蔵庫の棚に眼鏡を冷やしおくとは

落日の大音声を纏うときわたしはたれの夫人であろう

手ぶくろをはずすとはがき冷えていてどこかにあるはずの薄い街


今橋愛 自選(『O脚の膝』(北溟社)より)

そこにいるときすこしさみしそうなとき
めをつむる。あまい。そこにいたとき

エアコンを春ただなかに整えて
結婚したら本を読みたい

「水菜買いにきた」
三時間高速をとばしてこのへやに
みずな
かいに。

手でぴゃっぴゃっ
たましいに水かけてやって
「すずしい」とこえ出させてやりたい


田中亜美 自選

はつなつの櫂と思ひし腕(かいな)かな

抽象となるまでパセリ刻みけり

日雷わたくしたちといふ不時着

雪・躰・雪・躰・雪 跪く

息絶えし馬を焚火のごと囲む


山口優夢 自選

心臓はひかりを知らず雪解川

あぢさゐはすべて残像ではないか

ビルは更地に更地はビルに白日傘

火葬場に絨毯があり窓があり

野遊びのつづきのやうに結婚す


杉本徹 自選(『ステーション・エデン』(思潮社)より) 

ステーション・エデン

移りゆく日付は彗星から来た。歩道橋より垂れて滲むラテラノの光を踏み、環
状道のさす夜光性鹿(ディア)たちの、背をかぞえて。

むろん昼と夜の刹那すれちがう自動ドアの(……映る頬の)、薄い皮膚に、消
え失せた日付ののこす波紋を、信じて。舌のかたちの救命具、もしくは声の糸
つたう雑居ビル裏口を過ぎて。店の名を、五月の迷い、と読みあやまるとき、
破風に気づく。破調の風の、一縷の影に。

こんな、風の音は抜殻だから! わたしたちの瞑る眼の、涯ての野、たとえば
無人の私鉄車輛に、灰の林檎を。

灰のステーション・エデンに、あくる夜の切符を。

やわらかな雑踏とともに昨日は紛れた。駐車場の人影は地下の収支を語った、
古着のように釦ほどの空、その所在はついに缺(か)けたまま。手持ちぶさたの四番
地の、オフィスでほどかれるマネキンの髪、やわらかな。

 *

布切れにひとしく青の時代は放られた。燐寸と航空便(エア・メイル)、空の符牒はとりどりに
鳴き交わし、夜のグラウンドにすら落ちて。

 *

昼に睡りを写した鉛筆のこと。距離の罅にまどい、命数に傾く鉄路を描きそえ
た。カラカラと、あの太陽のころがるにつれ。


文月悠光(『適切な世界の適切ならざる私』(思潮社)より) 自選

落花水

透明なストローを通して美術室に響く
〝スー、スー〟という私の呼吸音。
語りかけても返事がないのなら
こうして息で呼びかけてみよう。
画用紙の上の赤い色水は、かすかに身を震わせ、
あらぬ方向へ走りはじめる。
やがて、私の息の緒に触れてしまったように
つ、と立ち止まるのだ。
小指の爪にも満たない水彩絵の具は
水に溶け込み、赤い濃淡で
夕暮れをパレットに描きだしている。
その一片を筆でさらい、画用紙に落としては、
まっさらな肌が色を受けつけるまで
しばし頬をゆるめた。
ストローを動かしながら
気ままな水脈に再び息を吹き込んでみる。
私の青いシャツに、赤い色水が跳ねて
まるくなった。

(彩る意味を見いだせないこのからだ。
「お前に色なんて似合わない」
そう告げている教室のドアを〝わかってる〟と引き裂いて、焼けつくような紅
を求めた。古いパレットを、確かめるように開いてみるけれど、何度見てもそ
こには私しかいない。それは、雨の中でひっそりと服を脱ぐ少年の藍)

色に奪われた私の息吹が
画用紙の上で生き返る。
水となって吹きのびていく。
この水脈のたどりつく先が
誰かの渇いた左胸であれば、
私もまた、取り戻せるものがある。
取り戻すための入り口が
まぶたの裏に見えてくる。
「水になりたい!」
風に紛れて、雲をめざし駆けのぼる私。
白い雲の頂で手をつき、
密やかにしゃがみこんだ。
あるとき、筆にさらわれて
ぽっと街へ落とされたなら、
風で膨らむスカートのように
私は咲いてみせよう。


ロンド

夜の息吹が私の発する熱にはねのけられ、魚のように尾を振り上げる。触れる
には遠すぎるし、見つめるには近すぎた。それでも打ち抜かれた胸の内をあば
きたい。示したい。素手を差し出す、或いは取り戻す。オ前ハダレカ、という
刃(やいば)を突きつけられる。その切っ先に研がれて、めぐる血潮はいつしか熱い。こ
の身体はなぜ世界と接続を試みたのか。またしても、全てが打ち消され、〝私〟
が動き出す。

まなざしは流れ、つむぐもの、射るもの、ほどくもの。そして再び結ぶもの。
まぶたを落とせば、それは果てしなく生きる。緑の滲みわたる森、雫を落とす
嘴(くちばし)、火が飛びたつ。さえずりを追う私の肩に、今夜も月がのぼっていく。そ
の光のふところで、口火を切った。

お間違えのないように願う。確かに私は飛べず踊れずの一少女。だが、ひとた
び活字の海に身をまかせれば、水をふるわせ、躍る。それこそ足になろう、ふ
くらはぎになろう、五本指の貝殻で踏みしめよう。指の先までことばとなろう。
まなざしの四肢を引き寄せて、共に舞う。ロンドだ。この手は彼らを誘い込む
ことも、旅立たせることもいとわない。これが舞うということか、浮上すると
いうことか。たとえ、また心無い日常の底に引きずり込まれたとしても、その
さだめをかかとで愛撫し、さらに上へ。海原から顔を出してひとり、息継ぎの
ロンド! その度に息を奪われるさだめと闘い、まぶたの裏側で躍りつづけよ
う。日常とロンドのはざまで、ことばとなって喘いでいたい

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One Response to “第1回シンポジウム  第一部 資料”


  1. 第1回シンポジウム「宛名、機会詩、自然」 第一部「ゼロ年代から10年代に~三詩型の最前線」 (part 2) 俳句の最前線 « 詩客 SHIKAKU
    on 4月 29th, 2011
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