ポルタメント   沼谷香澄

◼️第6回詩歌トライアスロン受賞・連載第1回
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ポルタメント   沼谷香澄

蚊の羽音一緒に猫を薙ぎ払う

さしすせそ、は、昔は違う音で言われていた。ウィキペディアに「さ行」という項
目が立っていて中世の「せ」「ぜ」は「しぇ」「じぇ」に近かったとある。いつか
らだろうか、また、いつまでだろうか。日葡辞典に記録されたのが最初らしいが、
それはこの発音の歴史の始まりも終わりも示しておらず、いわば、言語音声史のバ
タバタと風に舞い飛ぼうとするリボンを鷲掴みにして初めてピン留めできたその時
代が中世だったという以上のことは何も伝わってこない。言葉は生き物だというが
捕獲飼育できるものでもないから、今は残っていないと言うこともできない。

短夜の窓から猫の胴間声

猫も物を言う。声を使って物を言う。毎日のように呼びかけられ話しかけられてい
るのだが、残念なことに、十年寝食を共にしても一向に、ヒトの理解度も猫の音声
言語表現力も向上しない。うるさく鳴きからんだ後に大量の毛玉を吐いたりして、
事後解釈で体調が悪いことを訴えていたのだとわかったりすると申し訳なさしか残
らない。しかし、こちらが何を話して聞かせても猫は理解しないのだからお互いさ
まと言ってしまえばそれまでである。

煮ゆるとは言っておらぬと猫の顔

わたしが通った小学校の、体育と算数を教えていた赤ら顔の教師は、主に罵声の大
きさによって児童から恐れられていたがそれとは関係なく、サ行の発音が一貫して
古かった。しぇんしぇーが見てくるからオメらは先行っとけ。わたしたち三年生は
例外なく、直音または現在一般的なサ行音を使ってせんせーと発音していたが、そ
の発音の発生や定着のためには別に黒船や敗戦を待つましてやカラーテレビの普及
を待つ必要は、なかったのだと思う。テレビはあったが、私たちは短いエスを親か
ら聞き習った。

サバンナのおおきいねこを見て夕餉

五年生の時に校庭の隅で拾った雉白の猫は、六年生の終わりを待たずに二度目の交
通事故で死なせたが、その話を聞いてもらった先生はいなかった。

待って、って追いかけたうちのこねこが一瞬でぎんいろのふんまつになる

同じ小学校を卒業したほぼ全員が持ち上がり進学する町立の中学校にて、一年のこ
ろまでわたしたちは、猫や犬の鳴きまね合戦をやっては休み時間の教室で盛り上が
る生活をしていた。その瞬間を生きているわたしたちは間違いなく幸福だった。二
年の二学期、レベル分け補習授業が始まったのと同時に付き合う友達が変わり、休
み時間の過ごし方が変わった。すべてのわたしたちに十四歳という年齢が訪れた。

友達は友達だった立葵

ずっと時代は下って、新卒で就職して程ないころ。銀座三丁目の大通りからそう遠
くない場所の安売り屋で、サンプリングキーボードが超特価九八〇〇円で売られて
いるのを買った。それはシンセサイザーの玩具のようなもので、何種類かの楽器を
模したプリセット音が出たが、やはり取り込んだ音を鍵盤に割り当てて弾ける機能
が面白く、私は鳴き声のような無段階に垂れ下がる声を登録して、不規則な弛緩を
弾いていた。

恋猫に配慮をしろと言う未明

好きに鳴らしただけのサンプリング再生だが、気まぐれにカセットテープ片面分く
らいを録音してとってあった。部屋の片づけをするたびに出てきたが、そのたびに
仕舞いなおした。今でもいくらか脳内再生が可能だが、この演奏を他人に聞かせた
ことは一度もない。

吹き鳴らすコーラの瓶の甘さかな

そのキーボードは、娘がまだ話せないくらいの頃には常に弾けるところに置かれて
あり、娘が音を出して遊んだり、何かのもどかしさを言えないときに白鍵を油性ペ
ンで塗りつぶしたりして、有効に使われた。つい先日、これから捨てようというワ
ードローブの隅から見つかったときには、もはやアダプターをつないでも音が出な
くなっていたので、不燃ごみの日に出した。

記憶には足音だけを残す猫

猫の鳴きまねをするときには子音をつけないほうがいい。文字になる音と認識され
た瞬間にそれはオノマトペというヒトの言語表現に堕ちる。

シャミセンと呼ばれる雄の三毛猫のげに穏やかなさむらいことば
諦めの良さと悪さをもろともに持ってまいにち猫と会話す

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