減法混色   沼谷香澄

◼️連載2回
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減法混色   沼谷香澄

Attention: there is a dead dog in this poem.

はじめから死んでいる犬の話。そのまま登場させるといろいろ障りがあるので、
物体に別名を付けよう。エンジェリィとする。と書きながら、物体はエンジェ
リィ、というところで泣きたくなる。そういう事情なので、仮の名前はK9と
する。

損壊とされた器物の生を哭く

ある朝、K9は県道にいた。いや、落ちていた。そうではなく、置いてあった。
違うな、よけてあった。歩道は県道の反対側にしかなかった。家を出て県道を
渡るのがたいへんだったので歩道のない側を学校に向けて歩き出すのだが、最
初に出会ったときK9は私の歩行をぎりぎり妨げない場所に存在した。ロード
キルという語は日本語に入ってきていなかった。動物愛護法は成立していた
(ようだ。ウィキった)。野良犬というものはもう生活圏にいなかったが、
K9が首輪をしていたかどうかは覚えていない。

はいいろの二重扉を通り抜けあたたかな書の森へはいろう

灰色? そうだ、K9は灰色だったと思う。絵具を全部混ぜると薄暗い色にな
るが、犬種をまぜると毛皮は灰色になるのだろう。それと同じように、体型も
薄暗く特徴のない中型だったと思う。痩せているとは思わなかった。しかしど
う見てもK9と私はともだちになれそうになかったので、私はあまりK9を見
ないようにして通り過ぎた。

透明な翅は尊くほうせきのようだとおもう草色の蝉

放課後は部活があるので図書室は昼行った。図書室のフィクションは読みつく
した、という根拠ない自覚があったが実はそんなことはなくて、背丈くらいの
本棚の半分を占めていた江戸川乱歩は怖いのでほとんどさわったこともなかっ
た。面白い本、笑える本を探していた。

たましいを仔犬のように走らせる智のひあたりのよい図書室を

いっこ上に読書好きの先輩がいてよく図書室で会った。なにか面白い本しらな
い? これ面白いよ、と見せられたのが、ナスレッディン・ホジャ物語という
本だった。トルコの坊さん……だと? 想像もできないが、面白ければ何でも
いい。図書室に一冊しかないらしい。じゃあ明日借りる。明日ね。

ミナレなる見慣れない語を突っ立ててトルコの朝は始まるらしい

次の朝も同じ県道を歩く。県道は不鮮明な河岸段丘の縁ちかくを寄ったり離れ
たりして走っていた。K9の場所は、ゆるい崖っぷちに近い形で県道の舗装路
の端が護岸で終わっている感じのところだった。崖下には家があり、県道に上
がるためのコンクリートの階段があったのだが、その階段の一段降りたところ
にK9は移されていた。崖下の家は少し前から空き家になっていたので、出入
り口にめんどうなものを置かれて怒る人はいなかったようだ。よかったね、と
思った記憶があるが、やっぱりあまり見ないようにして私はその脇を通り過ぎ
た。

落ち着いた緑の布に手を置いて世界の好奇心につながる

昼休み、図書室に行ったら先輩が帰るところとすれ違った。昨日の本は? あ
あ、返した。スチールの本棚にあるから。プリーツスカートの全く似合わない
先輩が今日はジャージの長ズボンを履いていたが私も体操服だったかもしれな
い。

学校に行けば話せる人がいるおなじ襟なし白シャツを着て

スチール。初めて聞くことばだった。新しく入った本を入れている灰色の本棚
のことを先輩はスチールと呼んだ。スチール。触るとひんやりと冷たかった。
下段の左端に目的の緑色の表紙をした本は刺さっていてすぐに見つかったが、
床と本棚が同じ木の茶色をした図書室の隅でスチールの本棚は冷たい違和感を
点らせていた。

筆洗ういわしつみれのような水

不思議なことに、帰りも同じ道を通っているはずなのに帰り道でK9を見た記
憶がない。そろばん塾もエレクトーン教室も、学校と同じ方角だから、寄り道
したとしても通っているはずだが、暗くなっていたのかもしれない。だからK
9の記憶は常に朝だ。灰色の毛並みが風にそよぐ日があったと思う。雨で毛の
貼りついているからだが痩せてきたと思う日があったと思う。だんだん嵩が低
く量が少なくなっていったが特ににおいはしなかった。毛は少なく、少なく、
少なくなったが白くてつるんとした欠片はほとんど見なくて、毛がなくなった
ときにはK9の物理存在はほとんどコンクリートの階段と一体化していた。

雪が降りみんななかったことになる

そのころ暮らしていた家には、人間のほかには足の数のいろいろと違う招かざ
る連中のほかには、生き物はいなかった。猫を抱く感覚を知っていたら、K9
の記憶には違う色がついていたかもしれない。

朝焼けや檸檬シロップかき氷

五〇〇年くらい前の日本で、K9と私の記憶に似た観察を人間でやっていた人
がいたことを、後に大学の同窓会報の雑学記事で知って記憶に残ったが、それ
が九相図というジャンルをなすほどのものだと知ったのはさらにあとの話だ。

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