アイヌリンダレのメルコール   沼谷香澄

◼️第6回詩歌トライアスロン受賞・連載第6回(最終回)
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アイヌリンダレのメルコール   沼谷香澄

※Melkor in Ainulindalë

All names in alphabet from
Tolkien, J. R. R.. The Silmarillion. HarperCollins Publishers. Kindle edition.

足元にハードカバーが立っている青いスピンの小川垂らして

息をするからだ以前のきみの歌

音のある空間は虚空ではない

耳を持つわれに音声言語あり

はじまりは音楽的相違であった

パート譜に世界へ抜ける穴がある

自律する楽器としての独唱者

ことばは、世界を共有するための手続きである。わたしが歌う。わたしが持つ喉を使っ
て歌う。この喉はわたしが作ったものではない。与えられたものだ。与えたのはエルつ
まり神であり、エルはわたしに歌わせたいものをはじめから決めていた。エルが怒った
のは、調和を乱したからではなく、エルの意図にそぐわない歌を歌ったからだった。わ
たしには意思があり喉がある。なぜ、どちらかひとつではなかったのか。引き裂かれ
る。
※Eru

「淵源はことごとくわがうちにあり」世界は神の数だけ、ひとつ

〈世界〉の話をしたかった。ひとりのわたしはひとつの世界を心に思いひとつの世界に
生きる。二人いればひとつの空間にふたつの認識世界が展開する。三人ならみっつ。三
人と二頭ならいつつ。さらにいえば客観空間というものが本当に一個だけ存在する保証
もない。猫の空間認識は観察しているとヒトより解像度が高い気がするがもちろんわか
りようはない。時間認識は、なんとなく、ヒトより甘い気がするがこれもわからない。

どうしても理解されない言い回し言語理解のふしぶしに棘

三人と二頭と一尾がパンデミックを避けて閉じこもるこの小さな家には大小むっつの世
界が展開していることになるが、そう定義してみると、たしかに小さな一軒家には、ひ
とりぐらしの家とは違う重さのなにかが、詰まっている気がする。

でっ、といいつまづいた石 舗装路の路側帯からはがれた自由

その者の名前はメルコール。唯一の存在でありエルと称されイルーヴァタールと呼ばれ
る神の最初に創造した者たちのうちでも最も優れた一人であった。メルコールが何をし
たか。
※Ilúvatar

幻を見せられて隠されるときこわれるものをわたしは惜しむ

メルコールは自らの旋律を望んだ。すべてはそこから始まり、決して引き返せないとこ
ろへ展開していった。

唯一のエルのうしろに唯一の作者、無心につむぐ羊毛

虚空しかなかったところに世界が創られて一気に登場人物が増えた理由は、メルコール
がイルーヴァタールを怒らせたせいだったかもしれない。エルフや人間とともにヴァ
ラールつまり精霊が世界を作っていくおなじ世界に存在して、独自の旋律だったもの
は、ゆるぎない邪悪へと固められていった。かつて一緒にアイヌアであった者たち、地
上に降りてヴァラールとなった者たちにとって、調和の側を作る者の役目としてメル
コールを排除することが重要な仕事のひとつになっていく。
※Elf Ainur Valar

悪という文字を初めて打ち込まれやがて知る、おのれが悪である

メルコールは、モルゴスと呼ばれるようになり、それに応えたはたらきをする。同じ空
間に生きながら世界は二つの完成形に向けて引き裂かれていく。神は恣意的。悪は絶
対。闇を背負わせた瞬間に作者が個性の強かった登場人物の一人を愛するのを終えたの
がわかった。
※Morgoth

目の前の海が静かでないことが世界を嫌う理由になった

テキストを目でたどりながらわたしが悲しみの涙を流した最後の書物が『シルマリルリ
オン』だった。わたしは泣いた、そこにわたしがいると思った。メルコールはわたし
だ。ひとり不協和音と定義される。この本の読了以後、わたしは本を読んで泣いたこと
がない。

喜びの園はわたしのものでないそしてわたしはいなくならない

とりかえしのつかない決裂をとりかえすためには、物語をなかったことにするしかな
い。同じ神から生まれたのに、和解が許されない関係。作者に見捨てられた敵役。厳密
には絶対悪ではなかったもの。世界のすべてをひとりのエルが創ったと定義するから、
ゆがみが生ずるのだ。対立概念は外部から招けばよかったのに。それで創世にならない
のであれば、その創世は、なにかをまちがえているのだ。

庭に来て喧嘩して去る猫たちのだれが正義でだれが邪悪だ

目を背けないこと。希望を見つけるためにわたしは猫を抱く。最初の希望として、わた
しは猫を創造していない。わたしたちは対等だ。

特定のすがたかたちを思い出し名前を言わず猫ととなえる

あなたの世界が完成に近づくとき、わたしの世界は滅びに近づく。どの世界も、ほかの
世界から脅かされるためにあると考えること。わたしの世界が脅かされて困るのはわた
しだ。世界自体が脅かされて困るだろうかということ。

破壊しやすくするための決裂である

そこで気が付く、世界は現象であり無生物だ。世界は存続を脅かされても困らない。脅
かされて困るのは世界を好ましく見る目を持つ者たちだ。光をよろこぶ心の好ましさを
誰も気にかけないのはいったいどうしたことだ。

わかりやすい破壊の顎のクリスプ感

猫を創ったのはわたしではない。しらないところから生まれ出てきたものどうしがこと
ばをつかって世界を共有していくことで重畳的に世界が形作られると考えること。そこ
にあるのは幸福ではないか。おのれの単一世界にこだわって、ちがう世界を抱え持つ者
たちに対して征服や支配や隷属や服従という言葉をただちに絡めてしまう思考の悲し
さ。個体が生存するわずかな時間の調整を積み重ねて、さざなみのように世界は光りつ
づけると考えることのできる時間を少しでも長くつづけさせてほしい。そのあとは好き
にしたらいい。

かなへびのことばを猫は聞いてない

わかりあうような目混ぜのうまい猫

頬骨を猫に嚙み砕かせてみたい

サウロンと猫に名付けて従える
※Sauron
本当の炎は黒くなんかない

本文中カギカッコ書き、および作中名称のカタカナ表記は
『新版シルマリルの物語』(J.R.R.トールキン 田中明子訳)より

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