とてもつらい話(アイヌリンダレのメルコール、パート2)   沼谷香澄

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とてもつらい話
(アイヌリンダレのメルコール、パート2)   沼谷香澄

子供時代を抜けた頃から、生まれかわったら男になりたいと常に望んでいた。

革装の重い表紙を持ち上げて女のいない世界にいます

ファンタジーにあこがれた。世界が形作られていく描写に自己意識を没入した。私
は植物になり、光を受けて輝き大陸を埋め尽くした。私は花になり銀色の光のしず
くにもなった。私はテルペリオンになりシルピオンともニンクウェローテとも呼ば
れた。見る者の数だけ名づけがあって名前の数だけ関係があった。私はラウレリン
を近くに知り、それがマリナルダともクルーリエンとも呼ばれることを知った。互
い違いに輝いて眠り目覚めなおし、光を放ち混ざり合い、時というかたちのつかみ
にくいものを飾っていくなにものかになることができた。わたしたちは光をとどめ
露と雨を落として幸福な時の形象そのものとなった。

煙より女が薄い なつぞらを彷徨う雲に顔があるなら

ヴァリノールには要素が少なかった。すこしずつ要素が増えていくことはそれ自体
喜びであり希望そのものだった。私はエルにもテルベリオンにもなってヴァリノー
ルの今とこれから先を希望の目で見ることができた。

他罰他罰たばつたばつたばつ夕方になるときこえてくるクビキリギス

ヴァラールから、影が差す。アイヌアには性別があった。メルコールには配偶者が
定義されなかったが男性だった。だからだろうか、自然にメルコールの怒りを自分
のものとできたのは。エルフから見たアイヌアは、ヴァラールとその配偶者ヴァリ
エアという二種に分類された。読者は性自認が女である限りヴァラールになって
ヴァリノールを作っていく当事者になれない構造をしていた。

鼻で笑われるのは成果 聴かれさらに理解されたということだから

そんなの嫌だと思ったらどうする? どうしたらいい? 図書委員を辞めて生徒会
に立候補するのとはわけが違う。わたしは誰かの妻にしかなりえないのか。そんな
つまらない読み方はしないで、とりあえずリアルの性別のことは忘れてウルモに
なって海へ出ていきたいと思うことを、止められるいわれはない。私は言語を解す
る限り人間である。人間である限りファンタジーを楽しむことを禁じられるいわれ
はない。

悪役はそりの合わない仲間から描かれそして男であった

生徒なので兄と同じように勉強して進学した。女なので兄と違って家の掃除をして
食事の支度をした。その二つをどちらも議論の余地なく命令されて従うほかに選択
肢がなく、どちらも進捗がはかばかしくないと同じように責めたてられ追い詰めら
れた。

モルドール、くらいひびきの地下街にわたしの暮らす家の無いこと

ずっと、生まれ変わりたかった。いろいろな本や雑誌や映画や言説に触れながら私
が持った最初の価値体系は、男として男を愛するのが人間として最も幸福度が高か
ろうということだった。性自認が男ではなかったのに、なぜ、自分とかかわりあい
のない部分に価値をみいだしたのか。他者の言説を丸のみにしたからであることに
気が付くのには相当の年月を必要とした。

妖精の国に闘う男あり男あり男あり終劇

BLの愛好される理由は「女性が傷つかない場所」であるからだそうだが(出典は
探そう)、私の感覚では逆で、手の届く場所に提示された「すてきなもの」の周辺
に、自分のかかわる場所が全くなかったのだ。私は猫でないのと同じように男でな
かった。

襟元のボタンがひとつ足りないねそれが女ということな の よ

自分が自分である限り、冒険の仲間となることは想像さえ許されないこと。ハリ
ウッドがホビットの物語を実写映画化した時に、オリジナルキャラクターとしてエ
ルフのかっこいい女戦士が追加されたが、そうじゃないんだ。枠を外側に貼り付け
ても疎外感には微塵の変化もない。多彩なキャラクターが活躍する物語は、むしろ
性のないものと定義されたほうが受け入れられやすい。タウリエルに恋愛をさせる
な。

穴のない舗装道路のビー玉の轢かれて割れるまでがルーティン

どうしても両性を分けて使いたいならば、Fateの英霊召喚システムのように、
1回死んでるし呼ばれるときにリセットはありだよねという言い訳を追加して性別
をシャッフルするというキャラクター再定義の方法は受け入れやすい。ちなみにわ
たしは北斎ちゃんが好きです持ってませんが。だけどそれは改善策であって、理想
は、性について言及する必要のない世界だ。

名を変えることはできるねそのあとでこの腹痛をなんとかしよう

あいしあう必要のないとしつきをリュウゼツランのように、枯れたい

ただそこにあって光を受けている樹木よ花は咲かなくていい

本文中、作中名称のカタカナ表記は
『新版シルマリルの物語』(J.R.R.トールキン 田中明子訳)より
タウリエルのみ、ピーター・ジャクソン監督の映画シリーズ『ホビット』より

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