【第7回詩歌トライアスロン・詩歌トライアスロン(三詩型鼎立)受賞作】
自由詩「下=上」他 斎藤秀雄
短歌
手の影が石を収める閉域のなにもみなぎるものなき力
あやとりの手はくりかえし祈れども赤い切り取り線にまみれる
曲線をたどる指先ひとところくらがりなれば濡れてあらわる
逆光の手は輪郭の囚われの罅に壊れぬひらたいさなぎ
死が垂らす糸がときおり耳にふれ耳の流れるせせらぎおもう
ハトロンの紙の四隅は憂鬱をわずかに帯びて身を丸めゆく
甘やかに匂うパン屋の貯蔵庫の秤に目玉載せたきものを
いちまいの顔に深さのないことを顔をはなれる表情に知る
降る雪に口をひらけばうちがわを巨大なものに曝してしまう
耳元に息をめぐらせ合うことのささやきという川のような名
俳句
鋼なす月の廊下を紙の舟
スピノザが焼け跡に吸ふ扉かな
雁や火のまじなひに手の遊び物
深窓の蠟を育てて霧の果
倦むのみの檸檬抛れば刻の森
朽ちざまに舟は兎を戦がしむ
雪みちの誰かを出づる骨ならん
夜果てて熊は卍の火を分かつ
目隠しの母をひらけば蝶の霊
巻貝の影に正午の柱かな
自由詩
下=上
手‐の‐下を、裏切りが駈け跳
ねてゆく、手からひき出
されてゆく連なり=切断
たちは散っているのか、いやちがう(訂正)
を散らしている、
下‐から‐支えるものたちが、散らし=裏切
りをしている、下‐に‐横たわっている電気きのこたち
の白いぱりぱり肉体が裏切る、電気きのこたちの回転神
経はなぜ開け閉めされるのか、
開け=閉め‐と‐連なり=切断、
の交叉とは、ぱくぱく、炸裂出産の糞便であろうか……
手の照り翳りをみている、
手の照り翳りをつくっているのは、陽
による、上‐から、である、陽
からひき出されている照り
によって、手の表面の多孔率から翳り
はひき出されている、手の表面が、電気きのこ
のようにぱりぱり、散らし=裏切
りをしている、照り
は熾烈に手を襲う、準‐闇を準‐光が残虐
にぶっ刺すのである、手は糞便、
回転婚姻は炸裂婚姻である、
いやちがう、ちがうので、やりなおそう(訂正)
殴りつけること‐と‐殴りつけられること
が、
ひとつ
であるなどということがありうるのだろうか、つまり、
八つ裂きにすること‐と‐八つ裂きにされること
が二つのことではなくて、いやちがう、
二つのことは生じているのである、下‐に、下方‐に、
叩きつけること、上‐から、覆われて、叩きつけられる
こと、ふたつのことが総合されるとか縫合されるとかで
なくこれがいっぽんの原子状の針であること――
下方‐には、皺む目玉たちがしわしわひしめいてい
る、玉たけなわの瓜日和、手‐の‐下に、手
から諸‐皺は聴き届けられ、目玉たちは皺む、
手‐からひき出された絵=文字たちは目玉たちに裏
切られる、目玉たちは散らしてい
るしわしわ、目玉たちは電気きのこたちであ
るぱりぱり、先生たちの顔からぶらさがる目玉たち
によって吃らせられた空間に、瓜日和によって斑
点が撒かれている、斑点は目玉のうちがわでの爆
裂の、瓜における玉たけなわの糞便性である、
存在関節‐から‐認識関節への転回である、
したがって、というよりもむしろすなわち、じぶんじし
んの伯母を娶った遺産管理人の白い肉体とのこうした戦
闘が、吃る空間のうちがわにおいて、目玉たちが先生た
ちへと帰ってゆく、その速度の計測というありさまとな
ることは、必然であったといえよう、
歩測され細くされすぎた空間は、速度の肉体であり、速
度の空間である、とてもひらたい空間である、だから電
気きのこたちは、はなはだしく冷徹なやりかたで、裂か
れ、焼かれ、バターとしょうゆでおいしかったです、と
ころが電気きのこの例のぱくぱく、回転神経の開け閉め
はいくら咀嚼してみたところでやむことはなく、つぎつ
ぎと舌の切株たちを炸裂出産していったのである、
すなわち、電気きのこの糞便性が口のうちがわで舌
の糞便性へと、しわしわとたけなわの次第です、舌
の切株たちが皺んでいることなど、いうまでもない
ことなのであって、こうした切株たちの移し植えが
おこなわれることはけっして裏切りなどではなく、
目黒の庭園なのである、こうした、
投げつけること‐と‐投げつけられること
の二つが相手を変えつついれかわりたちかわりする
非‐存在的な非‐時空
こそがいっぽんの原子状の針という君なのである、