第9回詩歌トライアスロン鼎立部門選外佳作①

第9回詩歌トライアスロン鼎立部門選外佳作①

短歌「おしりがうまくふけない」俳句「遅遅」自由詩「ままに」 能美 政通

短歌「おしりがうまくふけない」

けん玉の宇宙遊泳できるから何故か(おしりがうまくふけない)
自転車を盗られぬように予めサドルもペダルも外して転ぶ
日曜日きらいな理由わかったよ猪苗代湖に半円の虹
もう二度と失うはずのない父を何故か何度も失いつづける
失ったことに気づかずいただけの百三十八億年間
目が覚めてきみがいないと涙するこの朝だけがわたしをつくる
われわれはなにもできずにたちつくしかみがやかれているだけのよる
滝で待ちつづけるだけの物語「又、会ふぜ。きつと会ふ。」D.C.
無理解に御理解などを求めずにポエジー(いまだ生まれる前の)
何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるから何故か(おしりがうまくふけない)

俳句「遅遅」

蛞蝓の一歩や生まれ死ぬる人
校庭に垂直に虹突き刺さる
安らかに眠らずに跳べ青嵐
がまずみの実ひとつそつと摘む夜鳥
丘に立ち爆ぜぬ檸檬を握りしむ
父を待つ星の入東風薬罐鳴る
テーブルのこぼれたままの雛あられ
踏青の朝風窓よ手よ開け
蛍烏賊大海原の大宇宙
暮遅し空き地近くの空といる

自由詩「ままに」

どうすれば詩が書けるのかきいてみた
「思うままに」と先生は言う


「詩ってどう書くんですか」と先生にきいてみた。
先生は「思うままに書いてみたら」とこたえた。
「思うままに」ってどうすればいいんだろうと思った。

これが散文ならば説明をしていく方向性もあるでしょう。主語を入れたり、時間や場所を足したり、ということです。


きのう、わたしは「詩ってどう書くんですか」と、廊下で見かけた国語の先生にきいてみた。
六時間目がおわって、ショートホームルームがはじまる前の時間帯だった。
先生は急いでいたのか、立ち止まらずに、教室に向かいながら振り返って、「思うままに書いてみたら」とこたえた。
わたしは「思うままに」ってどうすればいいんだろうと思って、教室に戻った。

散文の形式で書いていくアプローチもありますが、一旦散文の方法から離れてみましょう。散文的なコミュニケーションからの逸脱や脱臼です。
足したところを戻す、どころか、元の状態からさらに引いてみましょう。
核だけ残すと言ってもいいですが、なにを書くべきかが明確でなければ、なにが核かなどとは言えませんし、なにを書くかが明確すぎるのも、良し悪しです。
まあ、やってみましょう。


詩ってどう書くんだろう。
思うままにってどうすればいいんだろう。

「思うままに」はだれかの言葉でしょうか、調べてわかったことでしょうか。
抽象的に書いた方が有効な場合もあれば、具体的に書いた方が有効な場合もあるでしょう。
ひろげて書きおえた方がよいでしょうか、とじて書きおえた方がよいでしょうか。


詩を書けと先生は言う。
思うままになんて生きられるものか。

この二行が出てくる周辺を書き足してみましょう。「詩を書け」と言った先生はどんな人でしょうか。「思うままに」は先生が言ったのでしょうか、生徒さんがふだんから思っていたことなのでしょうか。この生徒さんはどんな生徒さんなのでしょうか。


教室では証明問題や定理を口にする先生が
廊下ではきみには詩が必要だと目を向ける
どうすればを遮って
思うままにが返って
わからなくなる
わからないのは
詩だけなのか
明日だって
今だって
思うままになんて生きられるものか

「教室では」、「廊下では」というセットは、「授業中は」、「休み時間は」や「受験生になったら」、「入学した頃」などでもよいでしょう。
詩と距離があった方がよいとの判断で証明問題や定理としたのでしょうか。確かに詩と国語の先生というのは、イメージが近すぎるかもしれません。もちろん、近いから必ずしもわるいとも言えませんが。
「口にする」、「目を向ける」もセットですが、なんでもセットにすればよいわけではありません。書いていくうちに、じぶんの中のちょうどよいまというのかかたちというのかがわかっていくと思って、書いていくしかないかもしれません。
(やりすぎはよくありませんを反面教師的に、行を揃えることで示してみました)
(一、二行目でだれとだれがわかりますので、三、四行目は、だれが書かれていません)
(「返って」には「却って」がかかっています)
(六行目まで揃えましたので、七行目からは一文字ずつ削ってみました。一文字になるまで削って、また増やしていくパターンもあるとも思いましたが、一文字ずつ削っていく中で長さの違う一行が出てくることでインパクトを強めることもできると考えました)
((最後の一行は、結論を書いているのではと思うならば、「今だって」でおえてもよいでしょう。明日のことも「わからない」、今のことも「わからない」ということは、思うにまかせぬ生だということですからね。一方で、メタ的に処理をする方法もあります。実際にやってみましょう。書き方がわからないといいつつ、書いていたという作品はどうでしょう))


教室では証明問題や定理を口にする先生が
廊下ではきみには詩が必要だと目を向ける
どうすればを遮って
思うままにが返って
わからなくなる
わからないのは
詩だけなのか
明日だって
今だって
思うままになんて生きられるものか
先生に見せる前に
最後の一行は消した

このやり方は、外へ出て、だれかに会ったり、なにかがなかったりしないと、やれないというわけではありません。
お部屋の中でも完結します。たとえば、いま目の前にあるコップでもテーブルでも本でもなんでも、そのものについて書いてみましょう。
いろいろな書き方の練習になると思います。バリエーションも増えると思います。
たとえば、目の前にコップがあるので、コップでやってみましょう。


目の前にコップがある。スナフキンが書いてあるコップだ。


スナフキンのコップ。中身は炭酸。


コップの表面の水滴の一粒一粒に映るわたしの顔。


持ち上げたコップをテーブルに下ろすと、音がする。しずかな夜だ。


コップを見ているのではなく、見せられているのかもしれない。


コップを手で塞ぐ。


コップはコップと呼ぶ限りにおいて、コップではないのだろう。


コップ。きみに会いたかった。


コップにもぶたれたことないのに。


将来の夢はりっぱなコップになることです。


たたみかけるコップ。


なめらかなコップ。しなやかなコップ。


あなたが落としたのは、金のコップですか、銀のコップですか。


コップ、コッパー、コッペスト。


コップが倒れたんじゃない。世界が傾いているんだ。


ごめん、きみは、カップだったんだね。


返事がない。ただのコップのようだ。


激しいコップ。穏やかなコップ。騒がしいコップ。大人しいコップ。物分かりの良いコップ。偏屈なコップ。コップなコップ。コップでコップ。コップはコップ。


コップの影を見るわたしの脳内にはあの頃の思い出と少しの後悔があるようだと友に言われたよという台詞が出てくる映画のタイトルがなかなか思い出せなくてね。


コップ→プリン。


コップにも断る権利くらいあるよ。


どんなコップが好きかじゃなくて、コップが好きかどうかをきいてほしかったな。


コップに雨が落ちる。雨が鳴っているのか。コップが鳴っているのか。


コップの歴史。コップの未来。コップの分析。コップの権利。コップの恍惚。コップの不安。


あなたに似合いのコップを探しに旅に出る。


コップを洗う。コップを片づける。

いかがでしょうか。
実際に目の前にあるコップを描写したものもあれば、それにじぶんの思いを加えたもの、すでにあるよく知られた言い回しの名詞の部分をコップに置き換えたもの、ただコップという言葉が入っているだけで意味をなしていないもの、などなど、出来の良し悪しはおいて、書いてみました。
期せずして、流れがつくれたなと思うところがあればそこだけ使うこともできますし、入れ換えたり、加除訂正をしたりすることで形になることもあるでしょう。
メタ的な処理もできます。
A→Zでやりましたが、
ひらがなでもいいでしょうし、
カタカナでも、
甲乙丙丁などでもいいでしょう。
他にも、
一歳、二歳とか、
一月、二月とか、
一から三十一とか、
月曜日から日曜日とか、
そういうものでもいいでしょう。
「ぼくの一日」などとして、
 0時 ぼくもコップも眠っている
 1時 コップが落ちる目が覚める割れなくてよかったが眠りは破れてしまった
 2時 コップの寝言をはじめてきいたなんだか謝っていたようだ
(中略)
19時 この一杯のために生きているなどとコップに向かって言ってみる
20時 コップは急に改まった顔をして大事な話があると言う
21時 あれから黙ってしまったコップになにを注いでやればいいだろう
22時 宿題をやり忘れていることにも気づかずにぼくはコップを笑わせている
23時 コップが笑ったからそれでいいと思えるきょうもあしたもいい日だ

いかがでしょうか。
なにを書くかも、書き方もないというと途方にくれるような心待ちになりますが、
一方で、なんでも、どんな方法でも書けるということでもあります。
まず書いてみましょう。
一行目があれば、書けます。
どこでもいつでもだれでも一行目があります。
それでも書くことができないという場合は、書けないということから書いてみてください。

詩が書きたいのに書けない
書きたいのに書けない
どうしてとたずねても
ここにはわたししかいない
書けないよから書いてみて
先生がくれたアドバイスを
信じて書けないよを書いている
もうノート五冊目だ
さすがに書けないを書きすぎた
なさけない兄を見るにみかねて
わたしのことを書いてみたらと
妹が冗談まじりに言うものだから
妹の顔をまじまじと見る
ああ妹はこんな顔をしていたんだなあと
思う兄はいまどんな顔をしているだろう
詩が書けたのかどうかはわからない
なぜ書きたかったのかもわからない
妹はノートを見比べて
書けないよがしっかり書けるようになったね
などときのきいたことを言う
繰り返しのようにみえても
同じ日はない
泣いてばかりいた妹は
泣きたい兄を励まして
兄ちゃんが守ってやるからななんて言っていた
兄ちゃんはいったいどこへいってしまったのか
確かにこれなら書けそうだ
どうなにか浮かんだと妹
しかつめらしい顔をして
この顔じゃ詩にならない
じぶんだってこんな顔してと
妹は兄の頬を両手でつねる
困ったなあ
どうやって書くのかばかりを
きいたから
どうやって書きおえていいか
わからない

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