小さな草花のたたずまい 石田瑞穂
時が流れる という言葉も流れてゆく
世界は生じ 刻一刻へ開かれる
時が咲かせた花に あなたは 一瞬
手を止め 巣にはりついた蜘蛛を見やる
波をついっと跳ねる 光の機敏さ
物が正確に縁取られた感覚
湾に走る光沢の筋
その刹那 あなたはより確かに
自分が何者であるかを知る
瓦礫の海氷を 刑罰のように襲いつづける光
あれは 帰れなくなった エゾタカの迷鳥
燠になった夕陽が 赤々と燃える空の瑪瑙に沈む
輝いているのは 星と 星にまつわる記憶だけ
「叫ばずに、大声でわめくことなく、訴えかける」※
静かな小鳥たちが すぐ近くまでやってきて
宵闇の枝にとまる あなたに 名前をつけてほしそうに
落葉松の新芽にくばられたばかりの 星の落滴を歌う
タヌキが出るとは聞いていたが
キジや野兔までいるとは 知らなかったよ
壊れているのに こんなに 光って
犬が小鳥の声でないしょ話したり
コダーイの流れる朝の食卓
ピアノとチェロが 地中に飛び散り
渦巻く深い花の巣のなかで あなたは空白をだきしめる
忘れられた寡黙が 人々の唇に戻ってくる
りーん りーん 風のなかで鈴虫の電話が鳴る
受話器の向こう 唖に悲鳴の荊を茂らせていた
二年前の少女は 母子草になって ともにそよぐ
糸電話の先で 娘の笑顔を咲かせようと
何度でも書き直すことのできる
夢が発明されたら
人は悪夢さえも見なくなるだろう
草の田で
失われた
杣道に 小さな白い花々 地の星々
ムラサキが手をふって導く
ひとあし早い秋風 帰郷を忘れた旅人を
こらえきれなくなった空から 幻の雪が降りだす
目に痛いほど まっ白な荒野の悲哀は
はかりきれず 雪はまるで 涙のようだ
あまりに冷たく 熱く 後から 後から 零れてくる
月が水にひざまずいている
夜の森でツキノワグマたちの幻が声をあげる
夏草に沈んだ自動車 うち捨てられた蜂の巣のコレクション
静けさとは ひざまずいているものなのですね
気仙沼市階上海岸にて
※はベン・シャーンの言葉。タイトルはベン・シャーンによる同名の絵画作品「小さな草花のたたずまい」より。