素晴らしき相撲の世界 橘上

素晴らしき相撲の世界 橘上

相撲は素晴らしい。何が素晴らしいかって国技なところが素晴らしい。デブであり裸であり汗であり油である。これが国の技と書
いて国技なのである。まったく粋だねおしゃれだね。デブも裸も汗も油もこの日本のマイノリティーである。それなのにその全部
を掛け合わせた生き物が国民的人気者なんだから。
幼少の時我々は恐れていたはずだ。デブと言われることを。裸になることを。何故ならデブはイジメられるからである。裸はさら
しものだからである。
デブと言ってはいけません。そんな教師の言葉が我々の心に響くことがあったろうか。多くのものが程度の差こそあれデブをデブ
と攻撃する。人を容姿のみで判断してはいけないといった考えの持ち主でさえ、デブに対する厳しい現実を目の当たりにしては口
を閉ざしてしまうのだ。デブになったら負けなんだ。そんな誰からともなく聞いた言葉の方が、人を見た目で判断するなという教
育の理想よりも胸を打つ。現実に生きた教育なのだ。我々はその幼少期の生きた教育を糧に、デブにならないよう運動をし、間食
を控え、食事のバランスに気をかけるのだ。結果日本人は健康的なプロポーションを手にし、世界でも有数な長寿国家として君臨
することができたのだ。デブへの恐怖心が日本国民のガソリンとなり、日本全体を動かしている。これは今更私が語るまでもない
公然の事実である。
ところが。相撲が国技とは何事だろうか。デブを否定し続けて栄えた国家が今度はデブを祭り上げて誉め讃えるのである。デブと
は善なのか悪なのか。デブな俺は正しいのか間違っているのか。デブよ君は悲しき社会の被害者なのか。デブよ君は果てない現実
の勝利者なのか。誰か教えてくれ。俺は太るべきか痩せるべきなのか。デブは負けだと言ったじゃないか。答えのわからないまま
デブになっちまった俺は汚い大人の仲間入りなのか。若者の叫びが今も耳にこだまする。デブへの回答を失ったこの国で、尾崎豊
の登場は想定の範囲内である。こんな社会では誰だって気が狂う。いや、この社会では狂うことが予めプログラミングされている
のだ。予定通りデブを恐れ予定通りデブを讃え、デブ肯定とデブ否定が押し寄せる現実の亀裂にやがて気が狂う。想定の範囲内で
しか狂うことができないこの国で、革命など起こるわけがないのだ。君よ、適度に太り給え。そして適度に痩せ給え。

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