さらばメロス   伊武トーマ

0709

さらばメロス   伊武トーマ

「間に合う間に合わぬは問題じゃない。
信じられているから走るのだ」。

迷惑な話だ。
勝手に人質に差し出しておいて格好つけやがって。
天然も天然とんでもない自己中毒野郎。
あのときおまえに背を向け王様に向かって土下座し。
仰せの通りでございますと地べたに額を擦りつけていたとしても。
王様は残忍な笑みを浮かべまずおれを斬り。
返す刀でメロスよ。
おまえを斬り殺していたことだろう。

どうやらおれの選択は賢明だったようだ…。
ずいぶん長いこと夏休みになるたびメロスは走り出し。
父から子へ。
子から孫へ何世代にも渡りメロスは走り続け。
そのたびおれはおまえのジコチューと付き合い振りたくもない首をタテに振り。
捕われの身となるのだからたまらない。

自分探しなどとランボー気取りで砂漠をさまよえば。
野垂れ死にするより先に首にナイフを突きつけられてしまういまどき。
メロスよ。
自分探しの旅をしているのはおまえの方なのに何でおれが人質になる。
おまえのわがままのせいで何でおれが間抜け面をさらし。
おまえをヒーローにすべく窮屈な檻のなか待ち続けなければならぬのか。

「友よおれはおまえを一瞬疑った。
だからおまえのその拳でおれを力一杯殴ってくれ」だって。

笑わせるんじゃない。
メロスよ。
頼まれなくてもおれはおまえをボコボコにしてやるさ。

「そしておれは激怒した。
かのジコチューなメロスを除かねばならぬと決意した」。

こう切り出してやりたいところだが。
ずっと捕らわれの身だったおれには。
メロスを排除しようにも外の世界のことがよくわからない。
ある時代は拘置所の独房に。
ある時代は鉄柵が巡らされた病棟の日の当らない個室に。
王様が変わり時代が変わるたび。
手枷足枷され狭搾衣を着せられベッドに縛り付けられ。
おれはちょっぴり優柔不断なだけなのに国賊と罵られ。
おれはただ嘘が苦手なだけなのに狂人と呼ばれずっと捕われて来た。
いつの時代もメロスをヒーローに。
驕り高ぶった王様を孤独で素朴な善人に仕立てるためだけに…。

朝だというのに宅配ピザ屋のスクーターが雨を切り突っ走る。
亡命者であり続ける神の後ろ姿を追い駆け。
風の匂いも嗅ぎ分けられなくなったゾンビたちがさまよい。
右を向いても左を見ても閉じたシャッターが絡み合う商店街の路上。
カラスが食い散らかした残飯に花屋の目つきも鋭く。
誰かを信じているわけでもない。
誰かに信じられているわけでもない。
時代を超え世代を超え。
メロスの後ろ姿を追い駆けて来た父子の涙も乾いた空気に枯れ。
友情も正義もすっかり色褪せ。
拘置所の独房から日の当らぬ病棟の個室から解き放たれ。
おれは自由の身となった。

おれには傘もない。
帰る家もない。
こうして雨中をさまようばかりだが独房にも雨音が響いていたよ…。
正義や友情といった言葉が放っておいてもひとり歩きしていたあの時代。
メロスに背を向け王様にも背を向けあの場から運よく逃げ切れたとして。
辻々に隠れては走り。
走っては隠れ…。
傘もなく帰る家もなく行く手を遮る雨にさらされ。
インクは滲み。
活字も頁もふやけ。
きっとおれは雨中にとけ消えていたことだろう。

鉄柵が巡らされた病棟の個室にも雨音が響いていたな…。
正義も友情も杖なしではひとり歩きできないこの時代。
もしおれが十字架を背負わされ刑場に引き出されていたならば。
メロスはついに走り出すこともなく。
押し寄せた群衆の罵声と石の雨にさらされ物語の扉は閉ざされていただろう。

いまごろメロスはどうしているのか…。
果たす約束などなくなったはずなのに。
未だジコチューなまま天動説を証明すべく。
ドン・キホーテさながら地球の自転と正反対に疾駆しているのか。
サンチョ・パンサは私を仲間にしてくれないかと改心したあの王様だったりして…。
メロスよ。
涙より笑いを呼ぶ方がおまえにはぴったりな役回りなのに。
この降りしぶく雨のなか。
ああ何と!おまえとまた出くわしてしまったんだ。

すり切れた影をひきずり。
雨に打たれ。
メロスは呆然と立っていた。
ジコチューをさらけだし。
友よ!と駆け寄り熱い抱擁を交わす面影のかけらもなく。
メロスは力なく立っていた。

せっかく解放されたのに!おれは背を向け走り去ろうとしたが。
いま来た道を引き返すのも癪なので知らん顔して通り過ぎてやろうと決めた。
一歩また一歩。
踏み出すほど雨は激しく。
すぐ脇を通り過ぎてもメロスはまるで気づかぬようだったが。

「セリヌンティウス…」。

背後でいまにも消えそうな低い声がして…おれは振り向くのをためらい。
雨は激しく雨は辛く…。
おれたちの間にいつまでも降りしぶいた。

「セリヌンティウス…」。

ふたたびおれを呼ぶ声がして思わず振り向くと。
降りしぶく雨のなかメロスは何かに怯え震えているのだった…。
おれたちはどちらともなく歩き始めた。
ボコボコにしてやるどころか余りに憐れなメロスの姿にすっかり困惑し。
肩を並べて雨中をさまようしかなかった。

西も東も北も南もわからず暗闇を手探りで進むように。
閉ざされた記憶の回廊を光を求めさまようように。
おれたちはずぶ濡れになって歩き続けた。
濁流とうとうと牙を剥き歪む橋も。
雨粒が弾ける石造りのアパルトマンも。
色とりどりの傘に顔を隠したゾンビたちも。
水しぶきを上げ疾駆する車も。
雨条に蹂躙され梢を撓らせる街路樹も。
叩きつける雨を振り切り頭上をかすめ行くカラスも。
どれもがどこかで見たような景色ばかりだったが。
おれはふと。
拘置所の独房で。
日の当らない病棟の個室で。
長い間幽閉されていたあの本という檻のなか繰り返し見続けていた。
白壁の空き家を腹を空かせた虎が悲しげに通り過ぎる…あの夢を思い出した。

「もう帰れないだろう」おれが言うと。

「もういいよ…」メロスはつぶやいた。

カラスが食い散らかした残飯が散らばる淋しい商店街に出る。
雨はますます激しく。
雨はますます辛く。
今朝も通った花屋の前を過ぎようとしたそのとき。
店の奥から男がやって来てすっと傘を差し出した。

「?!」。

花屋の男はいつかどこかで見たような…。
相変わらず目つきは鋭かったが。
?!私を仲間にしてくれないかと懇願した王様そっくりだ。

完膚なきまで雨が打ちつける石畳の街路。
ふやけ異臭を放つ残飯に紛れ。
一冊の本が投げ捨てられている。
閉じ込はほどけ。
頁はずたずたにぶちまけられ。
弾き叩きつける激しい雨に。
活字は磔され。
インクは血のように滲み。
いまにも息絶えそうな一冊の本が…。

花屋の男から受け取った傘を差し出しおれが。

「弔い合戦か?」と尋ねるとメロスははにかんで笑い。

「革命だ」と言って傘を振り切り。

メロスはひとり雨中に消えた。

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