サーマルヘッド  地下と肌着   中村梨々

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サーマルヘッド  地下と肌着   中村梨々

今年も姉は私の誕生日を忘れなかった。うまい棒みたいな筒の形の ……
穴が開いて向こうが見える。いろいろ言いたいことはあったけど、あり
がとう。姉は全く私と同じ表情で笑っていた。15歳だった。胸はあまり
大きくならなかった。胸の大きさで血縁は測れないのよ、と言った友達
のことを思い出していた。姉の胸もそんなに大きいのではないらしい。
姉の誕生日にはかわいい下着を買ってあげようか、誕生日を知らない。
確か父の命日だった。私は、父が死ぬと言うのにインドの穴のことを考
えていた。それは姉のこととは全然関係がない。父が死ぬにあたって、
姉のこと、兄や弟妹のことを思い浮かべているかどうか、言葉では確か
められなかった。父が言ったのは「インドの穴のこと」だった。父が堀
り始めた穴は人が3人は入れるくらいの大きさになっていた。そこに溜
まっていくのはゴミだった。食べ物のカス、糞尿、読んだ本(父は本が
好きだ)。それらを埋めるために、また一段深い穴を掘る必要があった。
服の着替えはどうするのと姉は心配した。無地のシャツやカッターシャ
ツ、夏用の半ズボン。買ってくるのは姉だったが、穴に差し入れるのは
私の役だ。そこにいるのが父だと思えないのよ。服を選んでいるときは
父の顔が思い浮かぶのに、穴の前に立つと一体誰だかわからない、と姉
は怖がった。誰かもわからない人ってたくさんいるのよ。町じゅうにた
くさん。ぐるっと見渡したらそこらじゅうにうようよいるの。そういう
こと思うと気持ち悪くなるから考えないようにしてるの。今目の前の人
のことだけ見るようにして、その人の服とか(何色を着ているか)(装
飾のボタンがついているか)(切り替えや形)(下着が透けて見えるかと
か)(裾のライン)(袖の開き具合)(素材)。ほらね、顔がない。頭のこ
とを考える時は帽子を見るといいわね。どんな毎日を過ごしているのか
知りたいときは靴を見るといいわ。足はあるかないかわからないものね。
姉はしゃべり続け、私はそばで穴の奥にいるはずの父の影を探す。

兄は遠くの町に暮らしていた。たまに帰って来ることがあって、よくス
―パーで出会った。父のインドの話に、兄は薄笑いを浮かべた。それさ
俺も子供の頃に手伝わされた。私はまだ生まれていなかった。いいなぁ
で、オウロとお前は穴の中、キトが生まれて俺は地下になった。いいな
お兄ちゃん、地下なんだ。じゃあ、お姉ちゃんは。知らないよ、まだお
やじのこと父だと思ってるからな。え、お兄ちゃんは思ってないの?
ばか言うなぁ、おっもしれぇ、ひさしぶりに笑った、兄は言った。

オウロは私の双子の弟だ。母親と一緒に家業の手伝いをしている。その
オウロと私は穴の中で生まれたのか。妹のキトも穴の中で暮らした。あ
たりはうっすらと暗い空気に包まれていて息苦しかった。周りの友達に
自分の汚れていることを陰で言われているのではないかと勘繰った。匂
いがしないように、石鹸で下着を洗った。母のいない隙に香水を服にふ
りかけた。いい匂いだね、と言われ『いいことありますようにって、お
まじないしてくれるんだ』と答えた。隠せない泥汚れの染みは犬のせい
にした。かっちゃん(私の名前のカンロ)犬飼ってるの、今度見せてよ
と言われた時は、どう言おうかと悩んだが、悩んで言葉に詰まっている
と『そうか、もういないんだね。だから大事に着てるんだ』思い出、と
いう言葉が浮かんだ。思い出を着ている。薄汚れた染みは思い出なんだ。
父はずっと思い出の中にいるのか。私たちのために思い出になってくれ
ているのか。でも、父は生きていた。生きて戦う。薄汚れた染みとなっ
て残るものと戦っていたのだろうか。ぼんやりと子供のころのことを呼
び戻してみる。オウロはよく泣いてた。母はそのたびにオウロを背負っ
て、穴を這いずるようにして上がっていく。戻る頃にはすっきりした笑
顔になり、機嫌よく私のそばでお絵描きをした。オウロを見ていると、
彼が自分のように見えた。私の体はなく、彼となって母に甘えたり、キ
トと遊んだりした。私は無口で泣かない子供だった。私はほんとうにい
たのかと自分で思う。私はオウロとなって、母の手伝いをし、一生を暮
して行く。ほんとうの私はまだ穴の中にいて、思い出となるべく汗水垂
らしているのではないかなど。姉がいることを知ったのも、兄と話すよ
うになったのも、すべて穴を出てからのことだった。

今年も姉は私の誕生日を忘れなかった。ユニクロのブラトップ。色違い
にしといたよ。ちょうど欲しかったところだ、ありがたい。父の下着も
ちゃんと選んでいた。どっちがいいかな。チェックと水玉。どっちって
どっちもいいんじゃない。それより一緒にお父さんに届けてあげようよ

下着は穴の中に吸い込まれていった。ひらひらと羽のように舞いながら

穴の奥は真っ暗で、父の動く微かな空気の振動も呼吸の幅も、母にもら
ったネクタイピンが時折光るのも見分けることができなくなった。キト
が夏休みに帰ってきて、母と作ったおにぎりを持って入室した。キトは
父のいるところをひとつの部屋だと思っていた。ちょっと行ってくるね。
相変わらず無邪気で怖いものなしだ。いつ帰って来るかわからないキト
を母と姉と私は待つ。地下にはたくさんのものが眠っている。それらは
わたしたちの皮膚に着用され、やがて吸収されていくものだ。

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