短歌時評 第82回 錦見映理子

『はじまりの対話』と斉藤斎藤

 

                                         
『はじまりの対話 Port B「国民投票プロジェクト」』という本が、現代詩手帖特集版として思潮社から11月10日に発行された。
Port Bとは、高山明が2002年に結成した演劇ユニットである。演劇を専門としない表現者たちとの共同作業により、既存の演劇の枠組を超えた作品を次々発表し、国内外で注目を集めている。
この本は、昨年行われたPort Bの「Referndum―国民投票プロジェクト」を記録したものである。

2011年10月から11月にかけて行われた「Referndum―国民投票プロジェクト」は、東京から横浜、福島へと巡回するキャラバンカー内で、東京と福島の中学生にインタビューした映像を観た客が、各地で「国民投票」に参加する、という形で行われた。キャラバンカーの巡回地でゲストを招いたフォーラムも行われ、それも含めて作品となっている。
本書には、その巡回の記録とフォーラムでの対話、また巡回先にあわせて書かれた詩人と歌人の作品が記載されている。

今年最後の短歌時評にこの本を取り上げる理由は、Port B「国民投票プロジェクト」のナビゲーターの一人に、歌人である斉藤斎藤の名前があるためである。

冒頭、高山明は山田亮太との対話(『現代詩手帖』2011年10月号より再編集)で、ウィーンのそばのツヴェンテンドルフ原発が国民投票によって一度も使われないまま廃炉になった事例があることに触れ、「その事例をある種の参照項にして、日本で国民投票をどう実現させるかというプロジェクトをやろうと考えた」と述べ、さらに福島を扱うことについての逡巡をこのように語っている。
「彼らの置かれた状況も、どうコミュニケーションすればいいのかもよくわからない。そもそも国民投票のもとの言葉の「referndum」の語感には、僕らが持っている国民投票のイメージと少し違う感じがあって、耳を傾ける、参照する、持って帰ってくる、跡を辿る、みたいな感覚があるらしい。原発や合意形成のシステムを考えるときにも、誰の声に耳を澄ませばいいのかが大きな問題になる。」
「一番長く未来を持っている子どもたちと、亡くなった人たちの声に耳を澄ますのがいいんじゃないかと。子どもと死者の声にどう耳を傾けることができるのか」

キャラバンカーの中で子どもたちの声に耳を傾け、死者の声に近づくための場所を選んでフォーラムを行う、というプロジェクトの形が、こうして作られた。

子どもたちが問われ、答える。私たちはそれを観る。質問事項がいくつか書かれた紙に自らも答えを記し、投票箱にその紙を入れる。それは記録となり、保存される。さらにその場所で誰かと誰かが対話し、問いを深め、さらに新たな問いを得る。そのさまを私たちは見聞きする。車は移動する。車の中で観る子どもたちの現在と、車の外にある場所の記憶が交差する。サンシャイン60(と巣鴨プリズン)、東京ドーム周辺(と東京都戦没者霊苑)、夢の島(と第五福竜丸)、横浜(と外国人墓地)、郡山、いわき、福島・・・。何度も人々が車の中に入り、問われ、答える。
高山はこのような流れのなかで、思考を深化し続けるための場を創出している。このプロジェクトは今も続けられ、10年間継続されることになっている。

この本に掲載されている、斉藤斎藤による3つの連作は、詞書や引用の多い形式の11~15首で構成されている。これらの中に、他者の言葉を丸ごと引用したらしい歌がいくつか見られる。

山田消児は「Es 囀る」の「斉藤斎藤論」において、斉藤の丸ごと引用手法についての違和感を述べている。

  残響音があるうちは新たに鐘をつかないで下さい 広島市     斉藤斎藤

この歌が広島平和記念公園の平和の鐘の横にあった看板をそのまま短歌にしたものであることから、「オリジナルの短歌を作るのではなく、看板の文章の一部をそっくりそのまま借用し、出典も明示せずに自作の歌として発表するに至った意図」が理解できない旨を述べ、実際の看板の文章と比べて「言葉の力は強まっただろうか。あるいは、何か新たに得られたものはあっただろうか。どちらの問いに対しても、私の答は否定的にならざるをえない。」としている。山田はこの一首が「純粋に詩として屹立する」力を持つものではないと判断している。

たしかにこの一首は詩的にはみえない。だがこれを初めて読んだとき私は、怒られている気分になった。すみませんでした、と思ったのである。何に対してすみませんと思ったかというと、広島の外からやってきて、その場を「観光」し、鐘の余韻がおさまらないうちにがんがん鳴らしては去っていく人々が少なからずいる可能性について、すみませんでした、と思ったのである。このとき私は「自分は外からやってくる人間で、当事者ではない」という態度の人として謝っている。そのことに少しの時間差で気付き、さらに取り返しがつかないような居心地の悪さを実感する。
「広島市」という得体の知れない権力が無理やり鎮魂を強要してくることの気持ち悪さを読み取る人も多いはずだ。おそらくこの一首は、このように読者それぞれに異なるだろうその態度を自覚させるために、歌の形になっている。看板にあったときにはただの「お願い」の文章だったものが、「広島市」という名前ののっぺらぼうの人がこちらに向かって何事かを迫ってくる声となっている。その声は、聞く人に何らかの自覚を促す試験紙のようなものとなっている。はっきり言って、感じの悪い歌である。その感じの悪さを引き受ける場所に、作者は立っている。自分は当事者でも外からやってきた人間だとも態度を示すことなく、ただ「感じの悪いやつ」という存在になっている。おまえ、態度を示せ、俺の態度だけ見やがって、と怒る人もいるかもしれない。(でも怒る人はこれが読めている人なのかもしれない。)

関連して、「現代詩手帖」12月号(現代詩年鑑2013)の短歌展望2012「〈倫理〉の時代」において山田航は、田中濯の「短歌」3月号(2012年・角川学芸出版)での発言をひいて、以下のように述べている。

田中「斉藤斎藤さんの一連に触れますが、〈撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ〉という歌を出されて、あなたが面と向かっている被災者の方がどういう気持ちになるかを考える必要はないのかということです。特に短歌と読者がほとんど一体化している詩型ですよ。それを無視し、間に何か入っているようなふりをして、あるかないかも分からないフィクションを立ち上げたふりをして、そういうことをうたうのは倫理的に間違っています。」

ここで田中が使っている「倫理」もまた本来の意味とは少し離れた、短歌独特の〈倫理〉であると考えたほうがいい。〈私〉がどのようにして共同体と接続していくかを決定する内面的な規範、それがここでいう〈倫理〉である。だから田中は、「被災者の共同体」の一員としての論理を展開する。
実際のところこの斉藤斎藤の歌は、優れた一首だ。被災者にも十分に見せられるだけの価値があるだろう。しかしそれはあくまでもテクスト的な評価となる。ここで田中が斉藤に対して問うているのは、内面の真実を独白することによって共同体のなかでどのような立場の人間を代弁しようとしているのかという姿勢の問題なのである。

山田航は今年一年の短歌に際立って顕在化しはじめた傾向として、「共同体」に対してどのような姿勢をとるか、「〈私〉の境涯の物語ではなく、〈私〉が「共同体」においてどんな役割を果たしたいのかという意思表明」を語らねばならない時代にきた、と述べている。

山田航が言うように、何らかの「告白」(たとえば自身が被災当事者であることなどの)が、斉藤斎藤という作者自身からの声としては上にひかれた歌に無いようにみえることは確かで、「共同体」的「倫理」に反するという反応があるのは当然かもしれない。しかし、では()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。おそらく広島市の歌と同様、この歌でもまた、作者は()()()()()自身の態度を示すことはせずに、読者に向かって何らかの自覚を促している(それが何であるかについては「未来」9月号に書いた・注参照)。

『はじまりの対話』のなかで高山明は、詩人と歌人をナビゲーターとしたことについて、このように述べている。
「死者を問題にしようとしたときに、そういう部分との回路をいちばん掘り下げようとしているのが詩人の人たちなのかもしれないという印象を改めて持ちました。彼(斉藤斎藤のこと)にはフォーラム会場の向こう側、つまり死者との回路をつなぐような歌を詠んで欲しいと思っています。」
「彼らはキャラバンカーが巡回する場所ごとに「旅の記録」として詩や短歌を生んでいく役割を担っています。「分かる」ことと、「分からない」あるいは「分けられない」ことに対するセンスや感度を上げたいなと思っていて、今回詩人や歌人から違うかたちの「分かる」方法や、「分からないこと」の精度を上げる方法を学びたいと考えています。」

斉藤はこれを受けて、サンシャイン60〔東池袋公園〕、東京都庁周辺〔東京都新宿住宅展示場〕、そして会津若松〔福島県立博物館〕の3ヶ所で歌を作った。
なかなかそれをここに引用しないのは、一首だけ選び出すのが難しいからである。読むほどに、一部をひいて何になるのか? と思わされる作品である(あとで少しやるけれども)。

代わりにここで、「歌壇」12月号時評において染野太朗が、斉藤斎藤の歌を助辞の捌き方に注目し、卓抜した読みを展開していたので、引用する。このように、歌の主体の身体と読者の身体の双方に何が起きるのかを詳細に解明しなければ、斉藤斎藤の歌は読解が難しい。

腰をおろすスロープのぶ厚いへりに背中はもたれ階段に立つ   斉藤斎藤「死ぬと町」(「歌壇」2012年4月号)
地下で買う弁当の紐ほどかれる屋上に出て湯気は出ている

「腰をおろす」や「地上で買う」「ほどかれる」の現在形(と仮に呼ぶ)と各句の切れ目による作用が、初句から読んでいくときの僕に違和感を与える。読み終えて初句に返ってはじめて、主体が腰をおろしたのではなくそのような「へり」を表した修飾節(と仮に呼ぶ)としての「腰をおろす」なのだと気付く。「弁当」は主体が実際に買ったのかもしれないが、それとは別に、「地下で買う」も「ほどかれる」も同様に「一般にそのような弁当と屋上である」ということを表す修飾節として機能する。だから読者として僕は「(へり)に」「(背中)は」「(出)て」等の助辞に()()()()()()()()。用言が現在形で、終止形なのか連体形なのかもわからず、しかし各語は定型における切れ目にほとんど忠実、その結果として、歌が時空のやや歪んだ世界を提示するために、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()(染野太朗「助辞について、など」より、傍点ママ)

歌の中の主体の動きを追おうとして気がつく時空の歪み、それは何のためなのだろうか。
地下で誰かの買う弁当の紐が、屋上でほどかれる。それをいつ、どこで、誰が見ているのか。いつ誰が屋上に出て、湯気が出ているのを見ているのは誰なのか。ここには複数の時間と、複数の運動がある。買う人の今、ほどく人の今、ほどくのを見る人の今、屋上に出る人の今、の連続を、今出ている「湯気」が回収しようとするとき、それぞれの人の身体が消え、空間を漂ってきた視線だけが残される。一首の背後にはたった一人の顔が見えなくてはならないと思い続け、連作のなかに一貫した一人の主体を探しながら歌を読んできた私には読めない誰かの気配が、この一首の複数の時間のなかに、複数存在している気がする。

今生きている、自分は一人しかいないと思ってきた私は、これらの歌を読みながら、誰の目で屋上に出て、誰の足で階段に立てばいいのだろう。

『はじまりの対話』でドイツ語翻訳者・演劇研究者の林立騎は、以下のように書いている。私はこの文章が、まるで斉藤斎藤の作品の解説でもあるかのような感じを受ける。「演劇」という言葉を「斉藤斎藤の短歌」に置き換えてみたくなる。「斉藤斎藤の短歌」だけが対応できる「現実」がもしあるとするなら、ほかの短歌作品が向き合う「現実」とは、微妙な齟齬があるのではないだろうか。だとしたら、私たちはこれまで培ってきた短歌の読み方を更新し、「今、ここ」をうたおうとしてきた私たちが見ようとしてきた「現実」とは変わってしまった「現実」を探し直さなければならない。

今や一つの事象の中にはあまりに多くの異なるレベルが同時に存在し、わたしたちは現実を所有し制御することができない。現実は複雑化し、ますます捉えがたくなる。「今、ここ」の芸術と呼ばれる演劇は、今、そうした現実とどのような関係を結ぶのか。
オーストリアの作家エルフリーデ・イェリネクは、東日本大震災とそれに続く原発事故を受けた作品『光のない。』において、ソフォクレスのサテュロス劇断片『イクネウタイ(追跡者)』を枠組みとして用い、古代ギリシャの牛たちと福島の牛たちを結びつけ、歴史上のさまざまな水と光と声を重ねた。
演劇的応答とは、「今、ここ」を整理して描くことではない。「今、ここ」を増やし、同時的に複数化することこそ、演劇的記憶による、演劇的記録である。政治や経済、科学や技術は、原理的に「今、ここ」を割り切れないものにすることができない。分けて、分かるものにして現実を進めるからだ。それに対して演劇は、分けられない、分からないものを敢えてつくりだすことで、人間の思考の幅を拡げ、別の仕方で考えること、別の目でものを見ることを、わたしたちに実践させる。
(林立騎「今、ここ、わたし」)

最後に、福島で作られた斉藤斎藤の作品の一部を、ここで読もうと思う。3作品の中で、私が最も強く反応し、揺さぶられた部分である。それは歌でも詞書でもない(らしい)12行にわたって記された、一人の台詞のような部分である。しかもおそらく、ほとんどが他者の言葉による引用で構成されたものである。なぜこのような部分が必要で、どうしてこれによって読者である私が強く反応したのかを解説して、終わりにしたい。

「NORMAL RADIATION BACKGROUND 3」は、11月8日(火)会津若松〔福島県立博物館〕という時間と場所とセットになって掲載されている。
NORMAL RADIATION BACKGROUNDとは、通常の放射線量を測定した際に、ロシア製ガイガーカウンターの緑の液晶画面に表示される文字列のことである。高い値が測定された際には液晶画面が真っ赤になり、「DANGEROUS RADIATION BACKGROUND」と表示される。この一連には、すべての歌の前に詞書がつけられ、その場で計測された放射線量の値が記されている。
この作品は、実はすでに一部が『短歌研究』2012年1月号に掲載されている。しかし下に引用した部分は、『短歌研究』誌上では割愛されていた。スペース的に入らなかったのだろうが、受ける印象がかなり違うので完全な形で『短歌研究』に掲載されなかったことが惜しまれる。また、『短歌研究』誌上には、引用元の注もついていなかった。これもまた割愛すべきものではなかったと思う。

『はじまりの対話』においてこの部分は、12首目と13首目(いずれも小文字の詞書つき)の間に存在しており、歌と同じ文字サイズで印刷されている。

本日司会を仰せつかりました磐梯熱海温泉おかみの会の片桐栄子と申します。福島に降り注いだセシウムは、134と137がほぼ同量と言われています。この曲線をちょっと下げる、もうちょっと下げる、これが除染の実際でございます。福島で生きる。福島を生きる。ならぬことはならぬものです。二年は除染しないでください。でないと川に流れ込んで全部こっち来る。証明できるかどうか議論していて、尿中のセシウムが6ベクレルに上がっていくのを防ぐことができますか。女の子の満足度をとにかく追求したくて東北最高レベルの時給をご用意しました。今なら被災者待遇あり、託児手当支給。逆に元気をもろたわと鶴瓶が家族に乾杯します。人が生み出したものを人が除染できないわけがない。岐阜と神奈川では年間0.4ミリシーベルトも違う、そのくらいの相場感でわたしたちは大好きなふくしまで今このときも生きています。わたしたちはゴジラではありません。和合亮一です。おかしなことを言っていますが本気です。福島はこれからも福島であり続けます。伝えたいことはそれだけです。

この部分には、下記のような注がつけられている。

片桐栄子氏の発言(郡山市・東日本大震災復興市民総決起大会)/冨田光氏の発言(安全・安心フォーラム)/和合亮一『詩ノ黙礼』/会津若松市・青少年の心を育てる市民行動プラン策定会議「あいづっこ宣言」/パルセいいざか2階ロビーにおける相馬市民の発言(安全・安心フォーラム)/児玉龍彦『内部被爆の真実』/大江戸ギャルズ郡山店広告、「求人MOMO 福島版」11年10月号/電力中央研究所・服部隆利氏の発言(安全・安心フォーラム)/構成劇「ふくしまからのメッセージ」/BOOK EXPRESS福島駅東口店レジ横のPOP、からの引用を含む。

「おかみの会の片桐栄子でございます」とあいさつした主体が、入れ替わり立ち代わり別の人物になり、声を変えていく。除染の方法を告げた直後に除染するなと言い、体内のセシウムが上がるのを防ぐことはできないと告げた直後に生活するための好条件を告げ、大好きな福島で生きようとする、ゴジラではなく和合亮一であるという人の声を聞きながら、頭おかしいんじゃないのこの人ふざけてる、と白い目で見て去っていくことが、どうしてもできない。

主体が猛スピードで入れ替わっていく様子。これを私は、とてもよく知っている。
昨年の三月以降、私は自分が最も信用ならぬ人間であることを初めて知った。新聞もテレビもネットも信じられない。だが情報のひとつひとつを見極めようとする自分の反応が、一番信用ならなかった。これを悲しんでいいのか。本当は怒るところなのではないか。昨夜テレビで見て嘘をついていると思った人が、ネットで調べると真実を述べているらしきことを知る。しかし翌日にはそのことを忘れて私は新しく知った別のことに泣いている。そして、私はいま衝撃を受けたことを次第にいつか忘れていくだろうことも、よく知っていた。その証拠に、私の去年の日記は異常なほど膨大な記録メモに埋め尽くされている。強く反応しながら必死にメモをとっていた自分は、このショッキングな出来事のあれこれを、必ず忘れるということをよく知っていたのである。だから書き留め、膨大な記述が残った。一年半後の今読むと、驚くほど不安定に思考が動いていく様子がよくわかる。このひと、あたま大丈夫かな、と思ってしまう。

「ゴジラ」と「和合亮一」が並列となる奇妙な現実は、私の頭のなかでも起きていたし、日本のあちこちでも現在進行形で起きている。
斉藤が拾い集めて合成した、ここにある分裂した思考の主体は、イェリネク『光のない。』の翻訳者でもある林が書いた「分けられない、分からないものを敢えてつくりだすことで、人間の思考の幅を拡げ、別の仕方で考えること、別の目でものを見ること」を読者に強いる。「私たちはゴジラではありません!」と叫ぶ舞台上の福島の高校生の声に、去年胸がつぶれるような気持ちになりながら、「これを言わせているのは誰か」と思っていたことを思い出す。「伝えたいことはそれだけです!」と彼女が叫んだ瞬間、「それだけであるはずがない」という声が同時に心に湧き上がってきた、あのときの記憶が、そして信用ならない私、大事だと思ったことをどんどん忘れていこうとしていた私が、「今、ここ」にいる私のもとに、命の危機にさらされたかもしれない人々を含めた複数の実在する他者の声と言葉と共に、なだれ込んでくる。その実在の重みと、それを利用するような暴力的ともいえる手法をとった人の根本にある、強い怒りに似た批評精神に圧倒される。

ここで引用されている言葉のうち、確かめられるものだけ拾ってみたのだが、ほとんどが原形を留めたまま合成されている。たとえば助詞や語尾などの一部を変形して使用した言葉は、無いのではないかと推測する。意図と自身の倫理とをはかって、斉藤はすべての引用作品を作っていると思われる。

こうすることでしか把握できない「現実」もある。私たちは震災と原発事故という事態に直面して、今まで培ってきた方法ではない方法をとって作られたものを目にしているのかもしれないし、今後も目にしていくのかもしれない。
『はじまりの対話』の福島で行われたフォーラム(和合亮一・猪股剛・斉藤斎藤・山田亮太・高山明という複数ゲストの寄り合い形式)で、高山はこのように述べている。
「整理がつかない状態で、どこかに中断を入れてかたちにする作業は、傷口を開くような暴力性を持ってしまう、そのことは自覚しています。かたちにするということは、ある意味順番を決めたり秩序をつけたりすることなのですから。大体演劇では「このように現実を読みました」と一つの回答を提示することが多いです。ですが、いま僕がやるべきことは記録に残す作業で、とりわけ今回の作品には答えがありません。できるだけそこは開いたかたちにしておきたいと考えています。」

私は去年から今年にかけてずっと、斉藤斎藤の歌の主体が誰で、作者はどこにいるのかについて「一つの回答」を読み取ろうとしていた。だが、それはもしかして私が何かに耐えられないせいで、「答え」を出そうとしていたのかもしれなかった。「答え」を明確に出さないことで、対象に近づくこともできるかもしれない。これまで読んできた方法とは違った方法を探したい。そして「分かる」ことと「分からない」ことの、いずれの精度も上げていく。「読む」ことを通して、それを続けたい。

昨年11月11日に行われたPort B「Referndum―国民投票プロジェクト」クロージング集会(豊島公会堂)で、高山明は「大きな声、大きな道ではなく、その下に埋もれていく小さい声や道を探したい」と言った。
『はじまりの対話』の最後には、観音開きで日本地図が現れるページがついている。地図のなかに、キャラバンカーが去年旅した地点が記されている。地図のほとんどはまだ白く残されている。地図を開くたびに、未来を感じる。これからキャラバンカーは長い旅を続ける。その場所を、この地図に記していこうと思う。

終わりに、クロージング集会の締めくくりに高山明が引用した言葉を、私の短歌時評連載の締めくくりとしてここに残したいと思う。
読むことは希望を探すことであると、信じている。
「希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている。」(ヴァルター・ベンヤミン「ゲーテの『親和力』」)

(注)
『はじまりの対話』はこちらから購入できます。

Port B「Referndum―国民投票プロジェクト」のサイトはこちら。

「未来」9月号(2012年)掲載の拙文はこちらでしばらく公開します。

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One Response to “短歌時評 第82回 錦見映理子”


  1. はじまりの対話 | 暁子猫のブログ
    on 12月 31st, 2012
    @

    […] http://shiika.sakura.ne.jp/jihyo/jihyo_tanka/2012-12-21-12517.html […]

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