第9回詩歌トライアスロン三詩型融合部門受賞 水棲の石 早月 くら
書くことは手を放すこと対岸のあなたへ見せる遠い水切り
土曜日のふいにあなたに誘われて遠くのカフェへ行く 花曇り
地下鉄の窓の墨色どこまでも潜れるとして選ぶだろうか
裏路地は静脈だからやや青くまぶしい街の隙間を歩く
山盛りの葉物野菜を崩しつついちばん古い感傷のこと
潮風がかすめる 青磁の皿はいま檸檬のドレッシングに濡れて
海へ行こう
と、あなたは言った
三月の海はとても清潔だから
各駅停車に深く腰掛けて
消毒をしなければ
後頭部を
背中を
陽射しに明け渡す
鳥籠を抱えたひとが乗ってきて
花束を抱えたひとが降りてゆく
窓がすこし開いているのは
わたしたちの壊れそうに澄んだ
沈黙のため
まどろみの水晶体にミモザ咲く
特急が追い抜いてゆく
一瞬の
轟音
そして
鳥の声、羽ばたき、鳥の声
止まないことは正しい
傷ついた鼓膜に
傷つけられた意識に
いつか誰かの
手がふれるまで
やわらかなひとを信じて春の海
窓がすこし開いていて
踝はもう
潮の匂いに浸されている
十年、と口にするとき重心がひどく近くにあって驚く
輪郭だけの記憶をそっと色づける会話 褪せるのならば何度も
泣いてしまうことに一生慣れないで睫毛に塩の粒ひからせる
櫂だった、あれからずっと 控えめにあなたの揺らす銀のスプーン
豆苗の揺れる窓辺に天国のあかるさがある、想像上の
ありふれた春の話になるだろう支えてくれたドアの向こうで
行間に降る雪柳いつまでも遠い遠いと現実を行く
照らされて川は予感になってゆく いつか、というのは祈りの言葉
果てしないみずうみに言葉は降りつもり
千年後
橋のような陸をたどってあなたに出逢うだろう