成熟する社会詠
待望の歌集が刊行された。大辻隆弘の第七歌集『汀暮抄(ていぼせう)』である。大辻は、『アララギ』から分かれた結社誌『未来』の所属で、自然詠にて豊かな叙情を表現しつつも、助詞・助動詞にしっかり眼をくばりながら定型をきちんと守る、今では稀少ともいえる本格派の歌人である。『岡井隆と初期未来』や『アララギの脊梁』などの優れた評論を書く論客でもある。岡井隆に師事し、その特徴である「思想詠」についても見所の多い大辻であるが、本作ではその扱いには変化が見られる。このことについてはのちほど述べることにして、まずは歌を幾つか見ていこう。
八月の旅ははるけく窓枠にしづくしてゆく冷凍蜜柑
手のひらにまだ温かき下顎を包みて口を閉ざさむとしつ
このひとの股の間に脚を入れわれは眠りき寒かりし夜に
一首目は旅行詠である。列車の旅で、窓枠のところに置いていた冷凍蜜柑が少しずつ溶けていく、という情景である。八月の「は」「が」、旅はの「た」「は」、はるけくの「は」、窓枠の「ま」「わ」と、上三句でA音を語頭で無理なく重ね、テンポよく明るい広いイメージを構築したうえで、転じて下二句で今度はE音を重ねて落としどころを作っている。題材や「しづく」の表現も美しいが、なによりも重要なのは、大辻がこのように音韻を自在に操れるということである。それはすなわち助詞・助動詞の扱いに長けているということであって(この場合は「窓枠に」の「に」に特に注目)、この技量こそが大辻の短歌を精緻かつ豊かにしているといえるのである。
さて、高い力量を誇る大辻であるが、彼が技に溺れる、というようなところはいまのところない。そして、その技量は自然詠よりもいささかナイーブな話題にむけられたときにより顕わになる。それは例えば、挽歌である。この『汀暮抄』は挽歌集の趣を持つことを特徴のひとつとしている。挙げた二首目、三首目は祖母が亡くなられたときの歌である。二首目は死者の口を閉じさせる状況を歌ったときの歌であり、強いリアリティがある。だがそのリアリティ自体を押さえて、「包みて」の表現があり、死者に対する想いの深さを読者に伝えており見事である。また、最終句を「し・つ」として、やや珍しい表現ながらも字余りに決してしないところも成功している。これは古典文法への造詣が深くなければできない表現でもある。三首目は、幼い大辻が寒い夜に祖母といっしょの布団に寝ていた、という歌意である。「股」という字はナマナマしいものだが、この歌に限っては祖母と孫の温かい関係性を瞬時に呼び出してくる。実に味わい深い歌である。
四首目も挽歌である。これは玉城徹が亡くなられたときの歌。この歌は「香貫」と題する連作の中のひとつである。大辻はファックスで玉城の死を知り、三重・松阪から静岡・沼津まで喪の旅をおこなう。この歌自体は自然詠にほんのりと「われ」の心情を乗せているだけであるが、狩野川という名詞や、むしろハレの場で用いる「バスは弾み」という表現が、状況の特異性を読者に感じさせる装置として機能している。連作「香貫」は
叱りくるるひとは全くし逝きにきと岡井先生悲しむなむか
で閉じられる。この歌も大辻の手腕でなければ、言葉を組むことすらままならないだろうと思われる。
さて、大辻といえば、以下に挙げる歌が代表歌ということに未だになるだろう。この歌は大辻の本質の一部ではあるが、無論全てではない。とはいえ、その影響の大きさからいえば、これは彼にとっても一種の呪詛であったといえるかもしれない。
紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき / 『デプス』(2002)
これは9.11米国同時多発テロを題材にしたものである。批判は容易いが、この歌の射程は長い。端的にいえば、「日本民族のありよう」という面倒で面妖なテーマを照らし出している。大辻の、いわゆる「思想詠/社会詠」は他にもこれまでの歌集中で多く拾うことができ、自身の重大なテーマであることは、2007年のエポックであった「いま、社会詠は」という小高賢と吉川宏志との鼎談からも伺える。彼の「思想」の立ち位置について云々するのは、まったく生産性を欠いた行為であるのでここでは触れないが、大辻が「黙っていないひと」であり続けたことは疑いようがない事実である。
さてここで、ようやく本稿の主題に入ることができるようになった。それは、本歌集『汀暮抄』において、思想詠/社会詠はどのような位置を占めているか?というものである。結論は、大辻ははっきりと思想詠/社会詠から後退した、というものである。ただし、その数は皆無というわけではない。たとえば、「帰国」という一連はすべて、時代のトリックスターであった金嬉老に対する苦い述懐である。また、この部類で最も優れた作品としては
中央の机にうつしゑを置けりとはに少女のままのうつしゑ
が挙げられるだろう。これは北朝鮮による拉致事件を歌った歌で、少女とは横田めぐみさんを指す。だが大辻はそのすぐ次に以下の歌を置いて、この歌が惹起する多くを無効化する。
子を思ふ誠がやがておのづからナショナリズムを帯びゆくあはれ
大辻は以前の歌集でも拉致事件についての歌を発表している。これが大辻にとって見逃せないテーマであることは間違いない。だが、そのまなざしは、以前よりも冷静で苦いものである。歌自体は熟練の度を増しているが、その一方では、思想・社会事象へのまなざしの変化が確実に存在する。そして、強調しておきたいのは、ここにこそ筆者(田中)の共感がある、ということである。此の世はますます相対化され、フラットになっていっている。ある個人にとっての正義が、他者にとっての悪である可能性を無視することはもはや容易いことではない。作者の「人格」がいやおうなしに問われてしまう「短歌というジャンル」の特性を考えるに、『汀暮抄』における大辻の思想・社会詠における後退は必然である。それよりも、自然を含む身のめぐりや、大切な人々を慈しむことや悼むことのほうがよほど重用だった。ゼロ年代後半とは、そのような時代であった、と筆者(田中)は『汀暮抄』を読んで振り返るのである。
だが、そのような時代はもはや終わってしまった。3.11東日本大震災がなにかを決定的に変えたのである。話題にはほとんど上らなかったが、震災と前後してオサマ・ビン・ラディンが米軍によって暗殺されている。ここで、大辻は大きな宿題を抱えることになった、と筆者(田中)は考える。「紐育空爆之図」の情念は、ビン・ラディンの死を歌うことによってしか回収できないだろう。また、大辻が震災・原発災害を如何様に歌うのか?残念ながら、それはまだ読者に明かされてはいないのである(総合誌編集者はこの一年中に、大辻に場を用意すべきであった)。はっきりと断定しておきたいことは、『汀暮抄』における「後退」が実は「成熟する社会詠」の仮の姿であったこと、それが次歌集において明確な姿をもって表現される可能性がある、ということである。あるいはそれがついに表現できない状態になったとしても、それはそれで大きな意味を持つだろう。その意味で、『汀暮抄』は、十年代初期を代表する歌集であるといえる。加えて、優れた歌集がかならず次回作への渇望を促すことを、『汀暮抄』もまた証明したといってよいだろう。本書は俳句・現代詩の作者・読者にも強く勧めたい。『汀暮抄』は間違いなく現代短歌の王道におけるエッジであると、ここに記すものである。