深夜。俳人、御中虫は煙草を吸いながら苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
某俳句誌から依頼されている俳句のうち、最後の一句がどうしてもできないのだ。
「くそっ、これがスランプというものか…このあたし様にスランプ…ありえねえ…」
しかしこうしている間にも時間は無情に過ぎてゆく。御中虫はついに、机に積んであった書物のうち一冊を引き抜いた。
『俳コレ』。
「この本、売れてるようで実際売れてへん気がするねんな…あたしのまわりで持ってる人、ぶっちゃけ一人もおらんし…しかも収録句がバカ多いから…一句ぐらいパクっても…ふっふっふ」
あろうことか、御中虫は『俳コレ』から俳句をパクることを決心したのだ。
御中虫が候補として引き抜いたのは以下の10句。
蜘蛛の巣のやうな吹雪を往診す 谷口智行
たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう 南十二国
栗飯の隙間の影の深さかな 小野あらた
初雪やリボン逃げ出すかたちして 野口る理
自転車にちりんと抜かれ日短 齋藤朝比古
猪かつぎゆく兄と弟とおぼしきが 谷口智行
畑ほどええとこないと種を蒔く 谷口智行
帰ろ帰ろ轢死の貂のゑまひをる 谷口智行
ワーキングプアコスモスは花を挙げ 矢口 晃
国道十六号時雨れてはテキサスめき 岡野泰輔
「さて、この中のどれか一句をいただくとしやふ…まずは一句め」
蜘蛛の巣のやうな吹雪を往診す 谷口智行
「吹雪を蜘蛛の巣にたとへる…これは秀逸であるな…払っても払ってもまとわりつくそんな様子がまざまざと眼に浮かぶ、そしてそんななか、【往診】する医師。よほどの急患なのであろうか。それとも病状はたいしたことがないが、医師の良心が往診をさせるのだろうか。私は後者ととらえたい…医師の良心が浮かび上がる、そんな句だ、よいな…だがな智行!」
御中虫は万年筆を放り投げて叫んだ。
「それにしてもちょっと呑気すぎるぞ、この句!【蜘蛛の巣】は日常身近にあるものだし、だからこそ【吹雪】のイメージも湧くといふものだが、小規模すぎやしねーか!? そんな小規模な【吹雪】のなかを【往診】してもなあ、読者は誰も感心しねーよ!せっかくの比喩が仇となったな!こんな小規模な句、あたしの性に合わんわ!パクるのやめた!!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「うーむ、そう簡単に名句がみつかるわけではないな…次の句いってみよう」
たんぽぽに小さき虻ゐる頑張らう 南十二国
「うーむ、これも名句。なんでもない景。しかしそんなミクロな景に作者は心ひかれた。もっと言えば、そんな些細なことに心をくだくほど、作者はなにか大きな悩み、落ち込みを抱えてゐたのだらふ…そしてしゃがみこめば【たんぽぽに小さき虻】。それを受けての【頑張らう】。かな遣いが旧かなであることも、この句には効いてゐる…虻の存在感は『ゐる』でなくてはならなかった、頑張ろうは『頑張らう』とこなくてはならなかった、その重さ。軽い景の中にもある重さ。素晴らしい…だがな、十二国!」
御中虫はさっき放り投げた万年筆を拾って叫んだ。
「前の連載のときにも誰ぞにわめいたがな!おまへ、相田みつをかよ!! これ、トイレに貼るために書いたとしか思えんぞ!? 【頑張らう】と思ったのは事実だらう、事実を曲げるなとは言わん。しかしな、書いていい事実とそうでない事実があるんやぜ?これは『それを言ったらおしまい』のラストワードだ!ここまで言うな!こっぱずかしいわ!こんなピュアっピュアな句、わしの芸風に合わんわ!パクるのやめた!!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「ふむう、そう簡単に…まあいいや、次の句いってみよう」
栗飯の隙間の影の深さかな 小野あらた
「わかる、わかるぞあらた…栗飯という一見日常的な平和な景色のなかにも影は暗く潜んでゐる、さう言いたいのだな?この句はあたしの芸風にやや通じるものを感じる…なので…いや、だがな、あらた!」
御中虫は万年筆のキャップを投げて叫んだ。
「この世界観の段階は、あたしはまう卒業してんだよーーーーー!! 平和の中に暗闇を見出す、こんな普遍的テーマもないが、だからこそ誰もが一度は通過するものだとあたしは勝手に思ってゐるが、おまへもそろそろ卒業式迎えるべきちゃうんけ?この世界観のよくないところは、世界を二元的にしか解釈できないで終ってしまふところだ!!あたしはそれに気づき、脱出したのだが、あらた!おまへもいい加減そのことに気づくべきだ!こんな一時代前の句は、わしのポリシーに反する!パクるのやめた!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「いやはや、そう簡単に…次の句いってみよう」
初雪やリボン逃げ出すかたちして 野口る理
「出た、る理句!なんぼ程る理句に言及したら気が済むねんってゆう話ですが、好きなものは好きだという主義なので!この句もいいよねー。【初雪や】で切れて、何がくるのだろうとおもったら、【リボン逃げ出すかたちして】って、なかなか言えない。しかもすごいのは、<言われてみれば初雪とリボンのあのしゅるしゅるしたかたちは合う>と思わされてしまふところである。これこそ俳句のとりあわせの妙!さすがは…だがな、る理!」
御中虫は万年筆のインクを撒き散らして叫んだ。
「やはりおまへの句に通低する至福感がこの句にもあらはれてをり、むかつくったらありゃしねーーーーーーーーーーーー!!【リボン】って、言える?【逃げ出すかたちして】とか素面で言える?おまへには【恥ぢらひ】の精神がない!! 【かたちして】と【て】止めにしてゐるあたりも、うふん♪って人を誘うポーズが感じられてむかつくよね!こんなはしたない句はモラルの塊であるあたしには合わない!パクるのやめた!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「うーん、そう簡単に…次の句いってみよう」
自転車にちりんと抜かれ日短 齋藤朝比古
「これまた、さりげない句ですねへ。そしてさびしい句ですねへ。自転車も【ちりん】と一回しかベルを鳴らさないし、作者もすぐに体をかわしたのでせう。なんの触れ合いもない、日短。影が濃い。夕日が赤い。でも、触れ合いはない。うーん、さびしいな。でもこのさびしさは本質的な寂しさだとあたしは思う…だがな、朝比古!」
御中虫は万年筆のインクのしみを拭きながら叫んだ。
「これまた、誰ぞにいつか言ったやうな言葉だが(連載が長いんだ多少の重複は許せ!)、【自転車にちりんと抜かれ】と【日短】は、つきすぎとちゃうんけ!もっといえば、両方とも【孤独】をあらわしてをり、孤独に孤独を重ねてどうする!!ちゅう話よ!こういう場合はどちらか一方を捨てよ!おまへにとって大事なほうを残し、片方は潔く捨てるがいい!このように欲張り地獄に陥った句は、わしゃ好かん!ゆへに、パクらない!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「パクると一言で言っても、なかなかこれぞといふ句には巡り合わないな…次の句いってみよう」
猪かつぎゆく兄と弟とおぼしきが 谷口智行
「すごい、これはすごい無骨な句ですねへ!【猪かつぎゆく】なんて、どこで作者は見たのだらふ…そしてその担ぎ手は【兄と弟】らしいと推察してをられる。顔が似てゐるのか、親しく話し合いながら担いでいるのかは不明だが、無骨ななかにもあったかみの感じられる佳句と申せませう…だがな、智行!」
御中虫は万年筆のしみがとれないことにいらだちを感じつつ叫んだ。
「これな、この句、この無骨さとあったかみは買う!ただなー、【おぼしきが】がどうも字数合わせに見えてしょうがねーんだよ、なんでここでぼかす必要があったんだ?【猪かつぎゆく兄と弟】のほうが、字足らずでも、すっきりしたんじゃねーか?またとくにいやらしいのが最後の【が】だよ!倒置法なんてこざかしい真似つかってんじゃねーよ、この句はもっとごつごつしてていいんだよ、そんなスマートな手法いらねー!! 可能性は感じるがこの句も却下!パクらない!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「自分で作ったほうがイッソ簡単な気がしてきたが…次の句いってみよう」
畑ほどええとこないと種を蒔く 谷口智行
「さっきと同じ智行の句だ。あたしは彼には可能性を感じてをるのだ。この句も無骨といふか、無愛想でかつあったかいという点で先の句とポリシーが似てゐますねへ。【畑ほどええとこない】といふ口語があったかく、そしてしかしただ【種を蒔く】といふ単純きわまる行為が素朴でよい、…だがな、智行!」
御中虫は万年筆のしみがとれないワンピースを脱いで洗濯機に放り込むと叫んだ。
「この場合、意見は大いにわれるだろうが、あえてネガティブに言う!というか毎回あたしはネガを採用してきたわけだが!この句も「みつを句」になり下がる危険性を大いに孕んだ句であると同時に(ついでに言っておこう、自分の句がみつを句であるかどうか不安になったそこのあなたはトイレに自句を貼ってみるとよい)、【種を蒔く】がなんとなく甘く感じる、といふのは上句が口語できているからだ、口語できたからにはリアルタイム感が欲しい、【蒔く】と終止形で完了せずに『蒔き』と連用形で進行中にした方が、この句の口語性は強く出るのではないか?或は【畑ほどええとこない】といふのは種のセリフで、【種は蒔かれ】としたほうが愉快ではなひか?ちがうか智行くん?この句は非常にいい線をついてゐる、しかしあたしが採用するにはまだ一歩足りなかった、なのでパクらなーい!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「うーんパクるって難しいな…次の句いってみよう」
帰ろ帰ろ轢死の貂のゑまひをる 谷口智行
「おお!これは!智行氏の真骨頂!! 【帰ろ帰ろ】といふ口語も効いてゐるし、【轢死の貂のゑまひをる】といふ不気味さも効いてをる!この句をパクろう!決めた!…いや、待てよ…しかし、うむ…だがな、智行!」
御中虫は洗濯中のワンピースと一緒にぐるぐるまわりながら叫んだ。
「ここで【帰って】いいのか!? 轢死の貂が【ゑまひをる】と感じてゐるのは人間の傲慢ぞ!きちんと墓をつくるなり土にかえすなりして供養してやるのが、発見者の務めであろう…それを何だ、智行!!おまへは一句のんきにひねったりして【帰ろ帰ろ】だと!?ふざけるな!こんな動物愛護精神に欠けた句は、採用できぬ!パクらないっ!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「ほんと、パクるって難しいな…次の句いってみよう」
ワーキングプアコスモスは花を挙げ 矢口 晃
「これはまた、かなしくも愉快な句…ワーキングプアなのに【コスモスは花を挙げ】てゐる。あたしもコスモス畑を実は身近に知ってゐるが、あの一面の細い茎したコスモスはまさに【花を挙げ】てゐるんだよね。よいしょって。その儚さと【ワーキングプア】の寄る辺なさ、技ありの句ですな…だがな、晃!」
御中虫は脱水したワンピースといっしょにねじれながら叫んだ。
「おまへももはや罵倒される常連となってしまったが、聞け!この句、おまへはどこで切るつもりだった?【ワーキングプア】【コスモスは花を挙げ】だな?違う!それは読みが甘いぞ!こういう句の場合、多少無理があっても【ワーキングプアのコスモス】といふ新しいコスモスの切り口を見せるべきなのだ!つまり『ワーキングプアのコスモス花を挙げ』と、こうくる。読者は単なる二物衝突ではなく、(ああ、コスモスでさへワーキングプアなのだな)と想像を豊かにできる、な?わかるか?さういう切り口の弱いこの句も、やはり却下!パクリません!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「ほんと、パクるって難しいな…次の句いってみよう」
国道十六号時雨れてはテキサスめき 岡野泰輔
「ほほう、これは文句なくかっこいいな!【国道十六号】なんてどこにでもあるものにすぎないが、一気にテキサスへ飛翔したその想像力、しかも読者を置き去りにしないやう【めき】とつけているあたり、センスがいい!この句に決めた!この句を…いや、ちょっと…だがな、泰輔!」
御中虫は物干しざおにワンピースを干すと同時に自分をも干しながら叫んだ。
「おまへ、これ、ヴェンダースのロードムービー『パリ、テキサス』まんまやんけ!!マアひとの句をパクろうとしてるあたしが言うのもあれやけどな、おまへが映画パクっとる疑惑が非常に強い!ジャンルが違うからってここまであからさまやと、引くわ!もうちょっとテメーの脳みそと五感駆使せえよ!こんなパクリ句はパクらないぞ!」
というわけで、この句は御中虫にパクられるという不名誉を辛くも逃れた。
「ほんと、パクるって難しいな…次の句いってみよう…あら?用意した10句、もうないの?困ったな…マア、所詮現在の俳壇にあたしレベルの俳人がゐなひってことね!ははは!わはははは!」
御中虫が何かに勝ち誇って大笑いすると物干しざおがぼきんと折れて(錆びて腐ってゐたのだ)、虫は転落、ワンピースとともに泥まみれになり、
「もお!明日の締め切りより、風呂と洗濯だわ!俳句なんてお嬢さん芸、知るか!」
そういうと原稿用紙を放り出して洗面所へ消えた。
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執筆者紹介
- 御中虫(おなか・むし)
1979年8月13日大阪生。京都市立芸術大学美術学部中退。
第3回芝不器男俳句新人賞受賞。平成万葉千人一首グランプリ受賞。
第14回毎日新聞俳句大賞小川軽舟選入選。第2回北斗賞佳作入選。第19回西東
三鬼賞秀逸入選。文学の森俳句界賞受賞。第14回尾崎放哉賞入選。
2012年5月26日 : spica - 俳句ウェブマガジン -
on 5月 26th, 2012
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