(「二十四節気についてのお考えを自由にお書き下さい」の設問に対しての意見)
①古来の二十四節気はそのまま残す。どうせ新暦になっても、旧暦を知らねば古句を作者の状況に沿って鑑賞出来ないように、新旧両方を知らねばならないから。新しい季節の言葉はそれなりに必要だが、節気に拘らず作っていけば良いと思う。ただ最近の「猛暑日」や「ゲリラ豪雨」は言葉が刺々しい。もう少し優しい言葉が欲しい。
②もともと中国の気候に合わせて作られたものをそのまま使うということ自体無理があるのだから、日本独自のものを作っても何の問題もないのでは。それに気象庁がやることについて俳人がとやかく言うことではないでしょう。二十四節気は俳人や歌人の為にあるのではないわけですし。
歳時記に季語としてあるから使う機会があるけれど、もともと季節的な実感がないまま季語として使用してきた言葉は、単に俳句的風雅な言葉として俳句歳時記には今までの二十四節気と、日本の風土に合った新しい二十四節気と両方載せればよいではないか。今までの二十四節気を外してしまうと、古くに詠まれた俳句の意味すら読み解けなくなってしまう可能性もあるわけだし。「竜淵に…」「雀蛤と…」等も季語として使用しているが、まったくの俳句的風雅な言葉として実感を伴わず使っている訳だから、別に何の問題もないんじゃないですか。旧二十四節気、新二十四節気で。
③二十四節気は、旧暦とは言いながら、太陽の運行=季節のうつろいに合わせて作られた言葉なので、現在と季節的に大きく変わるわけではない。むしろ太陰暦と季節のずれを調整するために太陽暦に従って作られたもの。季節のずれは地球の気候そのものの変化と人の都会的生活への変化なので、新しい季語ができることはいいが、二十四節気を無くしてはいけない。それは伝統や民俗、歴史、文化の否定につながるので反対。
④季節の区切りとして、肌身に感じる言葉として、俳句をいたすものならば二十四節気は最低限知るべきである。
⑤二十四節気に加え、さらに一節気につき三候に細分化した七十二項まであるので、新たに節を加えるというのは抵抗がある、というより不用に思います。俳句なら、魅力的な季語を加え良い句が生まれることで事足りると考えます。
⑥実情とはずれたところがあるにしても、文化としておいておきたい。
⑦「暦の上では」という常套句があるくらい実際の季節とちがうことを前提にとっくに私たちは暮らしているのでこれは残して欲しい。気象庁が口出しすることではないと思います。
⑧立春、立秋はいつも頭にきます。共に季節から外れすぎ。あと小満も意味不明。残りはそのままでいいと思います
⑨気象現象が変化しつつあるからこそ24季節気のような季節の節目(古くても)が必要であり、古典俳句などの解説に必要です。
新しい季語と古い季語があっての伝統だと思う。使う使わないはという基準は必要がない。
⑩北海道に、暮らしておりますとズレを感じますがたかだか数ヶ月のこと、そういうものだと割り切ってあります。逆に、北国ならではの季語がありますから!
⑪日本の大切な、伝えていかなければいけないものだと思う。
⑫二十四節気も好きだけど、七十二候も好き。どちらも歳時記から外さないで欲しい(せめて表として残しておいて欲しい)。
⑬二十四節気のうち半分位は一般に知られていると思えるし、名称が難しいと言うが、「啓蟄」だってかなり難しい。当然ながら、要は慣れにあるのでは。立春、立夏、立秋、立冬などは、なるほどという感があり、違和感はありません。詳しくは知りませんが、二十四節気はそっとして置いてもいいと思う。
⑭もともと日本人に四季の概念はないのでは。二十四節気と同じで中国大陸からの輸入物で、概念に過ぎず、違っていて当たり前。難しいから優しくというのは余計なお世話。その起源、受容、変容を押さえて、自由自在に遊べばよい。旧字旧かなが読めない若者は新字新かなでも本は読まないのと同じ。漫画やアニメやyoutubeや映像が彼らの理解し易いもので、易しさとは違う。昔は昔のままの感性で、今は今の感性で、別に並行してあってもいい。二十四節気も、中国のあり、江戸時代のあり、平成のありでいいのでは。
▲こもろ日盛俳句祭(7月28日)会場アンケートの意見等
<意見>
①俳句のグローバル化に伴って、各国別に考える必要があると思います。
②「座の文芸」であるから「座」で考えればよい。
③残念ながら地球の温暖化で季節にズレが生じている以上、何か新たな方向を目指すのは現代の責任ではないかと思います。
④太陽黄径から理解している。個々の名称については良く判らない。
⑤一年を24の「季節区分」をされると、凡そ、現在の気象現象とのズレはあるにせよ、生活してゆく折の、季節感の指針となっていると感じます。(農耕民族の日本人の暦となって、歴史は古いのでは)
⑥七夕は7月7日になっていますが、本来は8月中旬頃では?よく星の見える時に移動した方がいいのでは?季語は秋です。同じ事が朝顔にも言えます。朝顔市は夏。朝顔は秋です。
⑦二十四節気はそれなりの歴史、伝統もある言葉なので、廃止するのは淋しい気がします。実際に実生活、環境実態とのズレあり、違和感を覚える個々の言葉について考えていけたらと思う。
⑧難しい言葉だから止めるのではなく、若い人に「こういうものだ」と教えると、なる程と喜ばれます。言葉の成り立ちも判るし、日本語の素晴らしさが分かるのではないでしょうか。
⑨四季をこまかく感じることのできる二十四節気は生活の中に根付いていると思います。新しい季語の増えていくことも大事なことと思います。
⑩現在、特に勉強をしていませんが、気をつけていこうと思います。
⑪昔のようにはっきりした節気を決めるには、地球温暖化の外、生活様式の進歩などで、大きな誤差があると考えます。多少なりとも現在に合った節気を考え。直すこともあると思います。
⑫今の24節気はそのまま残し、「新24節気」を提案し、それを俳人が実際に使えるかどうか、試行期間を経て、作って見てはどうか。それよりも季節と季題のブレが最近非常に多いので、その調整を。
⑬二十四節気を完璧に残した上で、実生活に即した新たな節気を作ってゆきたい。
⑭なんとなく知っているというのが実情です。一度詳しく、どういうものか教えて頂きたいと思います。
⑮古来の言葉を大切にしてゆきたい。一時の思いつきなどで暦をいじるようなことは、決してすべきではないと考えます。
⑯この頃は子供の頃と違って、季節的に「アレ?」と思われることも多いですが、日本人として四季のある生活を大切にしたいと思います。その意味でも二十四節気は大切と思います。
⑰文化(歴史・伝統など)を大切にしたい。二十四節気は「あさがお」「あまざけ」とは違う。
⑱言葉と同じ、淘汰されるものもあって良いと思う。
⑲気象の知識は英会話などと同じで、あれば便利だが、無いからといって、駄目であるとは言えない。
⑳地球温暖化の点から、固執するのはどうかと考えています。素人で恥ずかしいのですが、多少、自由にしても良いのではと思います。
㉑歴史的にあったものは大切に。
㉒もっと知らしめる工夫が必要。
<その他>
- このことについては全く無知というレベルですが、俳句を始めて関心が持てるようになりました。
- 虚子の日盛の会のことを知りました。