戦後俳句を読む(28 – 3)永田耕衣の句【テーマ:雲】/池田瑠那

白雲や秋の暮また春の暮

一つの俳句に季語は一つだけ入れましょう、といった俳句の基本ルールを大胆に破った句。それも同じく時間帯を表す「秋の暮」「春の暮」を一句の中で使ってしまうとは。誠に耕衣翁は自由自在である。

雲、と言えば宮中(一般から見れば別世界)を表す「雲居」「雲上」の語あり、冥界への旅立ちを表す「雲隠れ」の語あり。そもそも洋の東西を問わず、神話伝説の世界においては「雲の上」は神仙の住まう別天地として描かれることが多い。雲の向こう側には、どうも「今、ここ」とは異なる時間、空間が開けていても驚くにはあたらぬようである。そう言えば大和絵には画面の区切り、場面の転換を示す「すやり霞」の技法もあった。

輝く白雲(銀箔押しでもあろうか)のこちら側は秋の暮方の景、あちら側は春の暮方の景、そんな一幅の屏風絵が思い浮かぶ。虫すだく秋の暮方の澄明な物寂しさと、鐘の音さえ朧なる春の暮方の華やぎを含んだ物憂さとが、白雲によって区切られながら一つの画面に共存している。ことばによって作られた不思議な屏風絵。(昭和56年『殺祖』より)

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