戦後俳句を読む (24- 2)青玄系作家の句【テーマ:魚】/岡村知昭

木星号墜落す鯖焼きをれば   日野晏子

 掲出の一句に登場する「木星号」とは1952年(昭和27)4月9日に発生したいわゆる「もく星号墜落事故」のことを指している。出発してすぐに消息を絶った羽田発福岡行の日本航空の旅客機「もく星号」(当時はノースウェスト航空の委託運航)は、懸命な捜索も空しく、翌日に伊豆大島の三原山の山腹で墜落しているのが見つかり、乗客・乗員37人全員の死亡が確認された。事故の原因は現在に至るまでわかっていない。当時の日本では例のない旅客機事故により多くの犠牲者を出したこともさることながら、「もく星号」事故では捜索の過程においてほとんど手がかりがつかめなかったために未確認情報が錯綜し、その結果「海上に不時着」「乗客・乗員全員の生存を確認」との誤報が流れたり、九州の地方紙では亡くなった乗客に「生存者」としてのコメントを創作するなどの混乱が相次いだという(ここまでウィキペディアの記述を参照)。

おそらく自宅のラジオを通じて大惨事の一報とその後の未確認情報の錯綜による混乱ぶりを耳にしていたであろう作者であるから、もしかしたら「乗客・乗員全員無事」の誤報を聞いてひとたびは安堵したのかもしれないし、墜落した機体が発生されて「乗客・乗員全員死亡」が確認されたとの一報には安堵から一転した最悪の結末に気の沈む思いにとらわれたのかもしれない。気の沈む思いにふけるなかにあって、ラジオは墜落事故の続報を伝え、犠牲となった乗客・乗員たちの名前を次々と読み上げてゆく。練炭コンロの上で脂の乗った鯖のバチバチと焼ける、いつもと変わらない日常の光景に響く音が、なぜかいつも以上に大きく聞こえているように思えるのは、「生存」と「死亡」の間に振り回されながら、最悪の結末を迎えてしまったやりきれなさからのものなのだろうか。整理のつかない気持ちを表すかのように、この1句で作者はただ「木星号墜落す」と鯖を自分がいま焼いているという行為とを取り合わせることのみに徹し、決して自分の感情を露わにはしていない、いや露わにはできなかったというほうが正しいのかもしれない。その間も鯖は脂をしたたらせながら焦げてゆく。この鯖を食べるであろう病床の夫もきっと大惨事に心痛めているのかもしれないが、夫婦にとってはあまりにもかけ離れた場所で事態は刻々と動いているのが、どうにもやるせなさを感じさせ、かえって1句に自分の想いを書くことを思いとどまらせたのかもしれない。

ラヂオ啾々と濁流に人溺る    日野草城
泣く母の声届く霜置く船に
静臥時のラヂオ職業案内を

妻の作品に続いては、夫である草城の最後の句集となった『銀』からラジオから伝えられる世相をモチーフに詠んだ作品を引いてみた。こちらも余分な感情の露出はできうる限り避けて、起こったニュースの核心をそのままに掴み取るような作風でまとめている。1句目は「北九州南近畿水禍相次ぐ」との前書きが付く。「人溺る」の結句にラジオの前と現場との距離感を感じさせはするが、水害のニュースを読み上げるアナウンサーの声と大きな被害をもたらす濁流の響きとを微妙に重ね合わせることで、現在進行形の水害の臨場感だけでなく、刻々と伝わるニュースに昂ぶりと恐れを抱え込んだ自分の心情も表している。2句目はこちらも「帰る興安丸」との前書き付き、引揚船「興安丸」の舞鶴港への到着を伝えるニュースからのものであろう。「泣く母」と「霜置く船」の取り合わせはシベリア抑留を背景にした有名な「岸壁の母」のエピソードにつながる面と持ち合わせているのが興味深い。3句目は「職業案内」、今でいうところの求人情報がラジオで放送されていたというところが当時の雰囲気を伝えているが、ラジオから流れる求人に耳を傾ける「静臥」を余儀なくされている自分の姿への、さまざまな思いも病と闘う身体中を駆けめぐっているのだろう。もちろん全身全霊を傾けて自分の看護に取り組んでくれる妻への感謝も大きいはずだ。看護する妻と看護される夫、ふたりの明け暮れにとって、ラジオの存在は確かに大きかったのである。病床の草城にはラジオで楽しんだ音楽に関しての作品も多いが、これはまた別の機会に。

最後に。「もく星号」事故で亡くなった乗客のひとりだった漫談家の大辻司郎、墜落地点の伊豆大島から遠く離れた九州の地方紙に「無事生存」のコメントを創作されてしまったこのベテラン芸人は、戦前の西東三鬼に「サアカス」連作で次のように詠まれている。

大辻司郎象の芸当見て笑ふ    西東三鬼

戦前に新興俳句の旗手だった西東三鬼にサーカス見物を楽しんでいる様子を1句に詠まれ、戦後は自分が亡くなるきっかけとなってしまった航空機事故を、新興俳句のもう一方の旗手だった日野草城の妻である晏子によって詠まれたというのは、何かしら因縁めいたものを感じずにはいられないのだが、戦前戦後と自分が俳句のモチーフとして取り上げられていたのを芸人大辻司郎、果たして気づいていたのかどうか。

戦後俳句を読む(24 – 2) 目次

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