戦後俳句を読む(29-3)戦後における川柳・俳句・短歌【テーマ:1951年】/兵頭全郎

月の位置しづかに移りつつふたり  山田志津女(1951年 『句集 詠ふ人々』 岡橋宣介選)
漂泊ひて汽笛はわれに鳴る如し  田山紫朝

編者の岡橋宣介による結社「せんば川柳社」創刊三周年を記念したアンソロジー『句集 詠ふ人々』から、大きな景色を描いた句をふたつ。月の動きはただ見ている分にはなかなか分かりにくいものだが、ある場所から見れば約半日をかけて大空を横断する。その「しづかに移りつつ」という時間の流れのなかにいる「ふたり」の詳細は一切描かれてはいない。しかしこの「ふたり」には確かにストーリーがあって、読者はそれを想像することになるのだが、その仕組みに無理がない句の構成になっている。同様に耳に響く「汽笛」は「漂泊」う「われ」の体中をうめつくしているのだろう。そんな「われ」の状況を読者はすんなりと想像しにいけるはずである。評文に「(せんば川柳社は)柳樽の価値を充分に認めつつ、その川柳精神を現代感覚をもってつかみとろうとする、文芸性を重視した立場を取った」とあるように、単なる事柄の描写ではなく読者が句の周辺やその先を感じとるような作風が見て取れる。川柳の可能性を拡げる確かな一歩であったとも言えるだろう。

物として我を夕焼染めにけり  (1951年 『驢鳴集』 永田耕衣)
池を出ることを寒鮒思ひけり

作者の句については池田瑠那氏が連載されているので詳しくはそちらをお読み頂くとして、ここでは先の川柳に似た雰囲気の句を拾った。「夕焼」の句にみる「我」は先の「汽笛」の句にある「われ」に似ている。「漂泊ひて」と「物として」、「鳴る如し」と「染めにけり」、そして「汽笛」と「夕焼」は見事にリンクしているようだ。これは私個人の感覚かもしれないが、汽笛の中にいる「われ」を感じるのと物として我を染めた「夕焼」に目がいくのは、それぞれを川柳・俳句として先入観をもって読んでいるからだろうか。ただ次の「寒鮒」を見る限り、俳句と川柳とが似たような視線を確実に持ち始めていることを感じずにはいられない。

わが家のくらし一日ごとの勝負ぞと胸のせきあげて月の下ゆく  (1951年 『紺』 山田あき)
菜の花の光まぶしき地區境よろこびは土にまたわが内部に

プロレタリア歌人同盟に参加したという山田あきの歌だが、これもまた戦後の歌が中心とあって別の感想が書きにくいのだが、「月の下ゆく」というフレーズに先の柳俳との共通点を探して取り上げてみた。「くらし一日ごとの勝負ぞと胸のせきあげて」まで書かれては当然先の句のような想像は「わが家」へむけて巡らせることは難しい。しかし逆に言えばこのメッセージ性の強さは特定の誰かに向けられているものといえるわけであり、その意味でこの具体性こそが短歌としての韻律の持つ意味ともいえるのかもしれない。ただそうすると「よろこびは土にまたわが内部に」と両方を書いてしまうのは、川柳的目線で言わせてもらうと書き過ぎにほかならない。なかなかこの当たりの読み方のギャップを埋めきれないでいるこの頃である。

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