「星」の句からみる五千石の真実(1)
前のプロローグ(自己紹介)にて
ゆびさして寒星一つづつ生かす 五千石(昭31年作)
を第一句集『田園』から挙げ、私の愛誦句であることは書いた。
この句の特筆すべきは、とても能動的であること。「ゆびさして」「生かす」のだ。見上げた夜空に星を一つ見つける。一つ見つけると目がどんどん闇に慣れてゆき、また一つ、また一つと星を見出すことができる。五千石はその行為を「生かす」と言いきった。それも、星の一つ一つを確認するように「ゆびさして」である。
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このとき、五千石はきめらく星を「ゆびさして」「生か」したいほどの心持ちにあったのだろうと推察する。
この句について五千石は、自註(*1)に次のように書いている。
俳句によって、自分という存在が、ハッキリしてきた。
そうなると自分を中心に宇宙の全てが、いきいきしはじめた。
実は、五千石は一浪のあと入学した上智大学二年の春頃、いわゆる神経症に悩まされていたのだ。
五千石は、著書『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』(*2)の「俳句との出会い」のなかで、次のように記す。
大学二年の夏休みを、私は一か月も早くとらざるをえませんでした。
神経症が高じて、どうにもならなかったからです。(中略)
死は私に直面していました。
そんな状況にあった五千石は、帰省後に母の導きにより、秋元不死男の俳句に出逢う。
同書によれば、後日、五千石が参加した俳句会は「忘れもしない、昭和二十九年七月十七日のこと」で、「私を苦しめぬいた神経症は、その夜をもって完全に雲散霧消、神経症の患者ではなくなった」という驚くべき事象の日であり、「かくて秋元不死男は私のいのちの恩人」となったのだ。
さらに続けて「ゆびさして」の句にふれ、
俳句によって、初めて私自身と巡り会うことができたのでした。
言葉をかえて言えば、”私の中の自然を大切にする”ことを知ったということです。
今日の私の生き方と私の俳句観は、すべてそこから導かれてくるのです。
と述べている。
ちなみに7月17日の俳句会というのは、秋元不死男が出席した吉原市(現富士市)での「氷海」吉原支部発足の会であった。この件についてはまた別途述べたいと思う。
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「ゆびさして」の句が成ったのは、先の神経症の件が起こった昭和29年5月頃から数えておよそ1年8カ月後、ということになろうか。この句は、五千石の、俳句開眼の一句であり、自我開眼の一句、そして「いのちの一句」でもあったのだ。
若き五千石の青春が迸っている作品である。
*1 『上田五千石句集』自註現代俳句シリーズⅠ期(15)」 俳人協会刊
*2 『俳句に大事な五つのこと 五千石俳句入門』 角川学芸出版刊