鱒の陣冬の清水を聴くごとし
第二句集『森林』所収。昭和四十八年作。
この句の自註には〈富士永明寺に岸風三楼を招いて句会。泉水の鱒の群れは整然としずまりかえって、なにかを聴聞しているようであった〉とある。
「永明寺」は、富士市にある曹洞宗の名刹で、富士山の湧水があるようだ。掲出句は、永明寺、富士市泉水辺りを吟行した中での作だろう。
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自註にある岸風三楼は、明治四十三年岡山県生まれ。富安風生門で私の先師に当たる。
五千石は著書『俳句 1983-1994』(*1)の第一稿の「一月 戦後俳句の見直し」の中で
岸風三楼の遺句集『往来以後』(角川書店)など、まさに「戦後」の証言といっていい内容で昭和二十二年から昭和五十七年六月の「六月の夢の怖しや白づくし」「泰山木仰ぐ躬を寄せ過ぎゐたる」に終わる氏の第二句集。質量とも読みごたえがある。
きりん草咲けども焦土かくし得ず (昭22)
甘藷かつぐ未婚の腰のたしかさよ (昭32)
水中花明日あるために美しく (昭42)
魂迎ふ不死男仏をはじめとし (昭52)
任意に抽いても時代が滲透している。風三楼作品の検証もまた忘れられまい。
と、頁を割いている。
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さて、掲出句の「鱒」はサケ目サケ科の、「マス」あるいは「~マス」という名のついた種類の俗称。この句での「鱒」はいわゆる虹鱒のことを指しているように思われる。湧水に棲みついたものだろうか。真冬の静かな湧水にじっと動かない鱒の群れは、儚いが美しい姿をしていたに違いない。
この句の制作年、昭和四十八年は、『畦(通信)』の第一号発行の年。さまざまな俳人との交流が深まっていた頃だったのだろう。風三楼を招いた句会もその一環で、楽しく緊張感のあるものであったと想像する。
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ちなみに『俳句 1983-1994』は昭和五十八年から平成六年までの俳句時評で、主として読売・朝日・共同通信系の新聞に執筆したものを編んだものである。
*1) 『俳句 1983-1994』11994年邑書林刊