どの石も蜥蜴の腹をあたためず 五千石
第一句集『田園』所収。
前回の「音」でも書いたが、五千石の作句は研ぎ澄まされた視覚が中心であり、今回のテーマ「肉体」「身体」についても、己の身体を詠った句、他人の肉体を詠った句、またそれを連想する言葉が使われた句は見出すことができなかった。
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掲出句。強いて言えば、蜥蜴の「身体」を詠んだ句である。
だがこの句の面白いところは、蜥蜴の腹のことを自分の身体の感覚のように詠んでいるところだ。まるで己の腹で石ひとつひとつの温度を確かめたような断定のしかたである。
五千石の作句信条といえば「眼前直覚」だが、五千石はしばしばその眼前を飛び越え、対象物と同化して作品を成すことがあるように思う。
たとえば、
渡り鳥みるみるわれの小さくなり 五千石
は、その例として分かりやすいかもしれない。
この「蜥蜴」の句も、対象物である蜥蜴の「身体」と同化して、蜥蜴の感覚が五千石の「身体」を通じて言葉に成った作品ではないかと思うのだ。
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第一句集『田園』は、章題とは別に、概ね二句ごとにタイトルが付けられた構成になっていることはよく知られたことで、この構成については否定的な意見が大半を占めるようだ。
この句を含む二句に付けられてたタイトルは「寒い夏」。このタイトルはいただけない。蜥蜴の腹があたたまらないのは、その年の「寒い夏」のせいだ、という答えになってしまっている。これは作品にとって大きなマイナスと言わざるを得ない。
いずれにしても、視覚を通り越して対象物と同化し、その言葉を表現する、こういう作句姿勢に学びたいと思った作品である。