日めくり詩歌 俳句(高山れおな)

一番 天皇

左勝

天皇のいちにちが過ぎ八月果つ 鈴木明

天皇の白髪にこそ夏の月 宇多喜代子


 両句の「天皇」は、今上天皇か昭和天皇のどちらかだろうが、句そのものの味わいからしても、また制作年と作者の生年という傍証からしても、前者とするのがより適切と考える。味わいとは、両句の「天皇」が、ルーズベルトや蒋介石やスターリンやヒトラーに相当する世界史上のプレーヤーである昭和天皇に対する大なり小なり公式性を帯びざるを得ない感情ではなく、より個人的なインティメイトを示しているように思われる点を指す。制作年は、左が二〇〇六年(平成十八)、右はおそらく平成初頭の作である。そして左右の作者が共に一九三五年(昭和十)の生まれであるのに対して、今上天皇は一九三三年に誕生している。彼らは全くの同世代なのである。

 以上を勘案すると、右句においては、皇太子としての長い待機を終え、ようやく自らの時代を迎えた今上天皇の抱負に思いをいたす、単純にエールをおくるのとも違う、やや複雑な気分が働いていると読める。なにしろ、満五十五歳という普通であればリタイヤが近い年齢での践祚なのだ。左句は、一日の終わりと、八月という炎熱の候の終わりを重ね合わせることで、同じ時代を生きてきた者としての感慨を一句のおもてに滲出させる仕組だ。時代性を八月に象徴させるのは、〈末は闇屋と答えし少年いわし雲〉とも作っている戦中派ならではでもあろう。

右句は、赤く濁った夏の月と白髪を映発させたイメージが魅力的だが、「天皇の白髪」というフレーズのインパクトに頼りすぎており、「こそ」の強調が「夏の月」の説得力が必ずしも十全でない点を目立たせる結果になってしまった。左句の方が構成によりゆるぎがなく、古稀を迎えた自らの老いの地点から天皇の老いを思い遣って、しみじみと心の深い句になっていよう。左の勝。

季語 左=八月(秋)/右=夏の月(夏)

作者紹介

  • 鈴木明(すずき・あきら)

 一九三五年生まれ。「青玄」の伊丹三樹彦、「野の会」の楠本憲吉に師事。二〇〇三年、「野の会」の主宰を継承。掲句は、第四句集『〇一一年一月』(二〇一一年 沖積舎)所収。

  • 宇多喜代子(うだ・きよこ)

 一九三五年生まれ。「草苑」の桂信子に師事。「草樹」会員代表。二〇〇六年より現代俳句協会会長。掲句は、第四句集『夏月集』(一九九二年 熊野大学出版局)所収。

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