日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2011/7/5)

周回の旅 葉紀甫

   または途次かも知れぬ逆旅(げきりょ)にて。
 
若者は我が家へ帰る旅に我が家から出発する。周回の半径は大きいほどいい。
若者は我が血へ帰る旅に我が血から出発する。出血は多量なほどいい。
若者の自分を憎む者も 自分を愛する者も みな旅に出る。
友とつれ立つ旅も ひとり旅も みな一人っきりの旅だ。
神の恩寵あれ。
 
帰りつく者に幸いあれ。
いったい何人帰っているのだ。
まだ遠くを歩いているものもいる。
僕も 見のこしているものが多すぎる。
 
息絶えし友よ。
谷底で白骨となりし君よ。
指の骨はナイフを握り 錆びた刃はあばら肋骨の隙間にある。
君だけではない 息絶えし友たちよ。
今日の空は あの出発した時の空の色だ。
あの日の 西空の色だ。
帰りつき 我が家で
あの数知れぬ通り過ぎた風景は 何であったろうかと伸上がって見る。
一塊の山だ。
通り過ぎてきた様々の地帯での 傷跡が何かをきれぎれに覚えている。
 
忘れてきたことの方が 実は多い。
帰ってきた友の顔も 昔とあまり変わらず口癖も相い変わらずで
どのような風景をみてきたものか。
誰も 遠いまなざしをしている。
 
情景でしか覚えていないものがある。
手のわななきで覚えているものもある。
熱さで忘れられぬ喜びもあった。
僕は常に僕であり続けた。
僕はつ終に 僕以外ではあり得なかった。
 
 
何を 家に持ち帰ったのか。
上を見上げると 父 祖父 曽祖父と連なり続く柱が天に届きかけている。


 今号もまたイレギュラーだ。先に入沢康夫のご努力で、私家版『全口語詩』が刊行された、葉紀甫を取り上げる。「私の好きな詩人」でも取り上げたが、私が必要にこだわるのは、葉が優れていながら、あまり知られていない詩人だからだ。戦後詩においては、トップクラスで、私が他を知らないだけかもしれないが、もっとも大きな「幻の詩人」と思っている。私が葉を知ったのは、死後刊行された『不帰順の地』(1994年・あーとらんど)を購入したためだ。その頃、末は亡くなって間もない頃で、『葉紀甫詞漢詩集』で「歴程賞」を受賞していた。どんな詩を書くのか、大変気になっていた。本を開き言葉を追っていくと、このあまり知られていない、しかし大変優れた詩人に驚きを覚えた。

 掲出の詩も『不帰順の地』に収録された、1988年に書かれた晩年の作品だ。すでに自らの最後を見詰めている、恐ろしいくらいの、言葉の力に満ちている。並ではない覚悟の、言葉のいい切が続く。「若者は我が家へ帰る旅に我が家から出発する。周回の半径は大きいほどいい。/若者は我が血へ帰る旅に我が血から出発する。出血は多量なほどいい。」この書き出しの二行で、すでに読むものを、強引に引き込まずにはいられない、生への透徹したまなざしがある。リズムはほぼ七五調だが、それを読点もない二つの文を一行に置くことを、二行繰り返すことで、異様な迫力がにじみ出ている。「息絶えし友よ。/谷底で白骨となりし君よ。」の二行は、亡き者を思う気持ちと、死すものとしての私自身が、二重映しとなり、イメージが刃物のように鋭く突き刺さる。リズムとしても、「君よ」という途中で切断されたような様子が、不安だ。そして、「僕は常に僕であり続けた。/僕はつ終に 僕以外ではあり得なかった。」という言葉は、生きてきた自分への、諦念を含んだ自負だろう。リズムたたみかけから、連が移ると、一度間をおき、納得するような流れだ。最後のイメージは私を越えた、極めて大きな世界広がり。私自身も収束ではなく拡散していく。

 このように、「自らの死の予感」を描いた詩は、多くはない。

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One Response to “日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2011/7/5)”


  1. kakumi
    on 10月 12th, 2011
    @

    森川さんの詩にこんなところで会えるなんて嬉しい。アップル・ストアーにいます。

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