日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/7/7)

十七番 挙手

左勝

手をあげて此世の友は来りけり 三橋敏雄

天高しさびしき人は手を挙げよ 鳴戸奈菜


俳誌「面」の第一一二号は、昨年、八十二歳で亡くなった同誌同人の大高弘達の追悼号となっている。西東三鬼の「断崖」や、高柳重信の「俳句評論」にも参加したこの人について、池田澄子、北川美美などが書いているが、後記にやや唐突に左句が引かれていた。「面」の発行人である高橋龍が、弘達・芭瑠子の大高夫妻や三橋敏雄との交流の思い出を記した一文である。

大高邸で、芭瑠子さんの撮った八ミリフィルムの上映を見せていただいたことがある。三橋さんも紫黄さんも同席していたと思う。小雪の降る朝、出勤する大高さんが軽く右手をあげて、大高邸の前の道を歩んで行かれる。三橋さんの
 手をあげて此世の友は来りけり
は、このシーンが発想のヒントになったのではないかとわたしは考えている。今、彼世には、三鬼先生、敏雄先輩、紫黄さんも居られる。大高さんもまた此世の友ならず彼世の友になったのである。

もとより客観的には証明しようのない話であろう。しかし、なんとなく高橋の直観を信じたくなるのは、ここに八ミリフィルムという形での映像の媒介が示唆されているからだ。ロラン・バルトの写真論には、〈実際、写真は、事物が「そこにある」という意識ではなく、「そこにかつてあった」という意識を据え付ける〉という有名な一節があるが、このささやかなフィルム上映会についての高橋の記述は、それが「かつてあった」事柄についての語りであることを通じて、「かつてあった」という意識を据え付けるものとしての映像の力を、なまなましく想起させる。そして我々が映像のその力を思い出す時、三橋の当日の感得を想像するのは難しくはないであろう。現に同じ部屋で一緒にフィルムを見ている「此世の友」を、一瞬、「かつてあった」友=「彼世の友」と感じたことが、逆に「此世の友」を発見せしめた――高橋が推定的に述べているのは、そんな発想の理路ではあるまいか。

左句にばかり長々と筆を割いたものの、左句において玄妙な効果を挙げている手を挙げる動作の意味をあっけなく解き明かす右句もまた秀逸な作であり、あえていえば完璧な一句である。完璧同士の組合わせにほとんど無理やりに勝負をつけてしまったその根拠は、右句の季語がよく利いているがゆえに、どうかするとむしろ季語以外の部分に余分の感が生じてしまう点にある。「天高し」という季語は、「さびしき人は手を挙げよ」を内包しているのではないか、そんな感覚が兆してしまうということなのだが、それを教えてくれたのがすなわちこの句の手柄なのだ。つまり、負けとした同じ理由が勝ちの理由にもなり得るわけで、勝負はあってなし、なのである。

季語 左=無季/右=天高し(秋)

作者紹介

  • 三橋敏雄(みつはし・としお)

一九二〇~二〇〇一年。掲句は、間奏句集『巡禮』(一九七九年 南柯書局)所収。

  • 鳴戸奈菜(なると・なな)

一九四三年生まれ。掲句は、第五句集『露景色』(二〇一〇年 角川SSコミュニケーションズ)所収。

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