二十番 浮力
左勝
かなかなの声の湧きわく森の浮力 関根誠子
右
枯芝を歩めばわれに浮力あり 長谷川照子
タイトルが同じ句集というのは、もちろんこれまでも無かったわけではない。いくつか挙げてみると、中村汀女と桂信子の『花影』、鈴木しづ子と星野立子の『春雷』、山口誓子と小原啄葉の『不動』、矢島渚男と星野石雀の『延年』、辻桃子と大屋達治の『籠宮』といった具合。探せばまだいくらでも見つかるに違いない。
書名がかち合うのは別に自慢にはなるまいが、タイトルには著作権がないし、そもそもこれらの集名はありふれた二字熟語に過ぎないのだから、オリジナリティがどうこうという話とも筋が異なる。それにしても、上記のようないかにも句集のタイトル(とも限らない。『花影』は大岡昇平の、『籠宮』は川上弘美の小説名でもある)になりそうな言葉であればまだしも、「浮力」などという特に文学的でも俳句的でもない語を冠した句集が二冊、ほぼ同時に出るのは、多少の椿事でなくはなかろう。
まず、一ヶ月早い今年四月二十九日の奥付を持つのは、関根誠子の『浮力』(文學の森)。開巻二句目に、
たつぷりと年酒を注ぐ畑四隅
という句が見えるが、実際、量感のたっぷりした、感情の表出に物惜しみしない、溌溂とした句風が特徴のようだ。
初夏のきらめくわたしのフライ返し
もう東風のほの揺らす窓おはやう
飽食のココロカワクカ青葉木莵
芋の露寄せて大きくしてこぼす
虹の根に街あり来たやうに帰らう
古セーター中身の我もご苦労さん
少し池田澄子を連想しないでもないが、池田ほどの幾重にも折れ曲がった思考の襞は感じられない。個人的には、〈虹の根に街あり来たやうに帰らう〉が妙になつかしく心に沁みる。所属は「寒雷」誌。
もう一冊の『浮力』(角川書店)は長谷川照子の句集で、奥付はやはり今年の五月二十八日である。編年体になった句集のわりと最初の方に、
風吹けば炎昼も好き六十歳
という句があって、作者の人となりはこの一句に明らかであろう。とはいえ、
孤独なり舟虫散らすわが一歩
春の雲再会の象老いにけり
のような内省的なところもあり、また同時に「澤」誌の所属だけあって、写実に向かおうとする傾向もはなはだ強い。
マネキンに水着きせをり四肢はづし
ペリカンのおつさん声よ花の昼
いきなりの風や雷雨や街白濁
マネキンの句やペリカンの句のように、ユーモアと不気味さが同居した句が散見されて面白かった。
さて、左右の掲句はいずれも集名となった「浮力」の語を詠みこんだ作である。それぞれの集中の随一かどうかはともかく、表題作だけのことはある出来栄えのようだ。右句は枯芝の上を歩く際のふわふわした感触を、自らの「浮力」として捉え直した。興のありどころはよくわかって共感しやすいが、その分やや飛躍に乏しく、理に落ちるきらいがある。左句はひぐらしが盛んに鳴く森の空気感のようなものを、「浮力」の語で摑まえようとしている。調子がやや間延びしてはいるものの、右句よりも感覚的な射程が大きく、味わいもより複雑だ。よって左勝ち。
季語 左=蜩(秋)/右=枯芝(冬)
作者紹介
- 関根誠子(せきね・せいこ)
一九四七年生まれ。一九八八年、「寒雷」に入会。『浮力』は、『霍乱』につづく第二句集。
- 長谷川照子(はせがわ・てるこ)
一九三九年生まれ。一九九六年、小澤實に師事。『浮力』は第一句集。