日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/7/28)

二十二番 東京

東京を去る日香水使ひきる 福永法弘

右勝

東京を西へ東へ焼芋屋 長谷川櫂


「天為」という結社は多士済々で、目指す俳句の方向性もメンバーによってさまざまのようだが、一面として現代の余裕派の溜り場のような性格を指摘できるだろう。ここで余裕派というのは、社会的にはいわゆる勝ち組(いやな言葉ですが)で、文才もあるが、俳句に痩せるほどののめりこみは見せずに、七、八分の力加減で俳句を楽しんでいる人たちとでも言おうか。当句合の十八番(七月十二日分)で登場した久野雅樹なんかまさにその一人で、今回の左句の作者である福永法弘もそこに加えられるだろう。

福永とほぼ同年齢の長谷川櫂の場合、これは俳句に人生を賭けているのだから本質的には余裕派と対極にあるはずのところ、最新句集の『鶯』などを見ると表面上は余裕派っぽさがいよいよ濃くなっている。これは元祖余裕派(彽徊派)である虚子に対する傾倒が強まっているためで、ただし虚子の場合は漱石からその彽徊趣味を批判されたとはいえ、結局、俳句に人生を賭けたという意味では、上述の余裕派の定義からは外れている。いずれにせよ、福永が真の余裕派であるのに対し、長谷川の余裕派ぶりは擬態というのが当方の見立てである。

さて、左句の出典は句集ではなく句文集で、掲句には〈東京にあこがれ出てきて長い月日が経った。/定年も近い。/では、定年後、どうするか〉云々の短文が付けられている。東京を去って疲弊する地方に行けば、経験豊富で人脈もある熟年世代がお役に立つこともあろうというような、さすが余裕派らしい能天気な文章だがまあそれはよい。ともかくここでは、「東京」が「香水」に象徴されており、香水を「使ひきる」ことが東京を「去る」ことと重ね合わされている。巧妙な機知的な表現であるが、やや演出が鼻について現実感に乏しいのが難であろう。

右句の「西へ東へ」も少々芝居がかってはいるものの、文字通りの事実であるのも確かだ。古典好きのは長谷川のことだから、「おくのほそ道」の〈舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす〉といった表現も念頭にあっただろうか。船頭や馬方が旅人なら、焼芋屋が旅人だっていいわけだ。ともかく、「東京」という茫漠として巨大な空間と、はかない「焼芋屋」の対比には、悪くないさびしみとおかしみの味がある。真性余裕派と擬装余裕派(というのは非余裕派ということだが)が争えば、やはり真性余裕派は負けるしかないようである。

季語 左=香水(夏)/右=焼薯(冬)

作者紹介

  • 福永法弘(ふくなが・のりひろ)

一九五五年生まれ。掲句は、『千葉・東京俳句散歩』(二〇一一年 市井文学)より。

  • 長谷川櫂(はせがわ・かい)

一九五四年生まれ。掲句の出典の『鶯』(二〇一一年 角川書店)は第十句集。

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