日めくり詩歌 自由詩 岡野絵里子(2011/8/24)

空  ——男の子へ 財部鳥子

朝顔が三分の二開く 男の子が起きてくる 大事なものを落さないように そらはゆめだ すっかり用意ができたら 背なかを向けて坐る かみの毛を切る 口のなかへ毎日 水を入れてゆすぶる 心臓に耳をあてて音をきく 今年は土色の顔をしたヘチマが沢山なった 足の筋肉をしらべる なんどもくりかえして方角をたしかめる

元気に坂みちを下ること逆立ちをすることを覚える 生活のなかで使うしるし お腹の虫が泣く 決められた信号音の組み合せで 暗い空の汽船と交信する 工事中という信号音 意味があり意味がない なぜだろう? いのちの水を飲むのは? 肉を食べるヒト 食事が三回もかさなるのは感心しない しかし男の子は大切にそだてる 広い世界へつれだすために 夜が明けるのをまっている 朝顔を踏んじゃいけない 土の下をのぞいちゃいけない 世界はそらの切手なのよ

「花鳥45」 思潮社 1975年

 詩集「花鳥45」(1975年)所収。溢れ、寄せてくるイメージに呑みこまれそうな、作者の才知を感じさせる言葉の奔流だ。刊行当時には、言葉遊びの詩集と評した書評もあったが、どうしてどうして、2000年以降の意味や実質を置き去りにする饒舌な現代詩群に比べると、大変真面目な言葉との戯れ方ではないだろうか。

 まだ三分の二しか開かない朝顔、広い世界に出て行く前の男の子、どちらも空を見上げて、これから起きることを待っている。この詩の中で、上方は良き方向だ。夜が明け、夢があり、汽船が航行して行く。切手ほどの小さな人の営みを貼りつけて余りある大きさだ。

 そしてその反対に、下方へは興味さえ禁じられている。「土の下をのぞいちゃいけない」。なぜなら、そこには死があるからだ。

 「言葉と心置きなくたわむれること、それがわたしの望みだった。だから、わたしの詩には思想などあってほしくなく」と、あとがきに書いた詩人だったが、その意図を越えて、この詩は「少年よ、生きよ。死を見るな」というメッセージを伝えてしまった。

 この詩集は軽やかで明るい。不安な子どもがはしゃぐように。苦しみを抱えた人が多弁になるように。

 1972年、作者は飛行機事故によって若い弟を失っている。その悲しみと向き合った詩集「西游記」が編まれたのは1984年。12年の歳月が必要だった。

タグ: None

      

Leave a Reply



© 2009 詩客 SHIKAKU – 詩歌梁山泊 ~ 三詩型交流企画 公式サイト. All Rights Reserved.

This blog is powered by Wordpress