日めくり詩歌 俳句 高山れおな(2011/9/29)

三十三番 炎天

炎天を見上げてそして静かなり 北川あい沙

右勝

自らを行け炎天の通り抜け 佐々木六戈

「炎天」という季語は近代のもので、近世には「日盛」という言い方が主流だったのではないかと漫然と思っていたのだが、必ずしもそういうことではなく、炎天も近世初頭から六月の題として立てられてはいたらしい。一方、『基本季語五〇〇選』(山本健吉)の日盛の項を見ると、

季語としては俳諧の時代になって始めて登録され……近代になって、にわかに好んで取り上げられる題目となった。「炎天」「炎昼」「灼くる」「油照り」などの題目とともに、極暑の太陽熱の激しさを強調する季語として、愛好されるようになった。

との説明がある。

よく知られているように王朝歌人は、夏の極暑をことさら歌に詠もうとはしなかった。近世俳諧になってひとつのモティーフとして確立したわけだが、同じく暑さを詠むにしてもなお「納涼(すずみ)」という角度からの接近の方が優位にあるようだ。近代になって、山本がいうような「愛好」が生じたのはなぜか。西洋化により、庶民でも氷が食べられるようになったり、海水浴のような娯楽が普及したりしたことで、かつてより少しは夏を楽しめるようになったからか。しかしやはりそんなことではなく、ある種の感覚的な、あえていえば倫理的な転位がそこにはかかわっているのだろう。西洋化を持ち出すなら海水浴ではなく、むしろキリスト教の方なのだ。「炎帝」というそのものずばりの季語もあるように、「炎天」「炎昼」といった語には、一神教の人格神をめぐる意識の薄められた反映があるような気がしてならない。

左右両句ともに、そんなわけで(変な言い方だが)たいへん近代的な詠み口となるのは余儀なき次第。こんな句を示されても、近世の俳諧師にはどこに俳意があるやら、困惑しただけに違いない。左句は自己を凝視する自我意識の習慣化したありようが前提として作り手読み手に共有されているからこそ、「そして静かなり」の脱臼が生きてくる。右句に至っては、「犀の角の如く独り歩め」でも「天は自ら助くる者を助く」でもよろしいが、共同体から切断された、近代的な個人の決意表明に終始している。ただしそれを「通り抜け」のような矮小な語感の言葉とあえて取り合わせて、滑稽味を生じさせたのはいかにも俳諧。どちらも好句というべく、あえて右勝にしたのはほぼ依怙贔屓。なぜかといえば、右句を含みつつ、作者主宰誌に発表された一連の作があんまり面白かったから。まず俳句は「どくだみは匂へ」と題された三十二句。

どくだみは匂へへこたれてはならず
連れてゆくなり軽鳧の子をこれでもか
Apocrypha蝿に鬣ありにけり
落としたる葉書の刺さる龍の髯
離れ鵜や此処まで来れば鵜が見ゆる

短歌は、「エウレカの如く」というタイトルで十八首。

致し方なければ捲かれ捲きながら屁屎葛は高きへ昇る
海嘯が追ひ掛けて来るこれからも子らは走りて行くのであらう
支へつつうちふるへつつ魂柱(こんちゅう)といふがviolinの身体の中に
生と死と一連なりのどちらから吸うてゐるのか両切りピース
やうやくに我は現はる折れ曲がり立ち上がるかに壁に映りて

なんと言いますか、「国家の不幸は詩家の幸い」を地で行くような気迫に圧倒されました。

季語 左右ともに炎天(夏)

作者紹介

  • 北川あい沙(きたがわ・あいさ)

一九六五年生まれ。今井杏太郎に師事。「魚座」「雲」を経て現在無所属。掲句は第一句集『風鈴』(二〇一一年 角川マガジンズ)所収。

  • 佐々木六戈(ささき・ろっか)

一九五五年生まれ。「童子」を経て二〇〇二年、「句歌詩帖草藏」を創刊。掲句は、同誌第五十九号(二〇一一年九・十月)より。

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