日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2011/10/18)

葬式列車   石原吉郎

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを

 石原吉郎は、二回目に取り上げた吉岡実と共に、遅れてきた戦後詩人だ。しかも、石原の死の出発が遅かったのは、敗戦直後から、特赦で帰還する1953年までの、8年間シベリアのラーゲリで、強制労働を強要されたためだ。日本の戦後詩人の中でも、最も過酷な戦争体験をした一人といえる。敗戦を迎えたのは30歳と決して若くなく、日本に帰国し、掲出の作品も収録された、第一詩集『サンチョパンサの帰郷』が刊行されるのは、64年の49歳の時である。55年に詩誌「ロシナンテ」をを創刊し、すでに活躍しいたものの、異例に遅い詩の出発といえる。詩集はH氏賞を受賞する。石原のラーゲリの体験から、手にせざるを得なかった思想については、彼の名著の『望郷の海』(ちくま文庫)に詳しく記されている。冒頭に置かれた文章から、一部を引用する。

 いわば一個の符号にすぎない一人の名前が、一人の人間にとってそれほど決定的な意味を持つのはなぜか。それはまさしくそれが、一個のまぎれがたい符号だからであり、それが単なる番号におけるような連続性をはっきりと拒んでいるからにほかならない。ここでは、疎外ということはむしろ救いであり、峻別されることは祝福である。(「確認されない死のなかで」部分)

 石原が生涯こだわったのは、連続した「番号」として人間があることを批判し拒むこと。ひとつの紛れもない個と「符号」としての生を問い生きることだった。「死においてただ数であるとき、それは絶望そのものである。(同前)」という状況に、抗うことだ。

 掲出の詩は、そのような石原が批判し否定すべき状況を、観念ではなく実景、状況として、丁寧に言葉を紡いでいる。実体験を基として、デフォルメと喩を加えることで、くっきりとした描像が浮かんでくる。このような明確なイメージを下地に、過酷な状況下にもかかわらず、詩はユーモアに満ちている。「まだすこしずつは/飲んだり食ったりしているが/もう尻のあたりがすきとおって/消えかけている奴さえいる」などの部分は、笑いがもれだしてくる。いや、過酷な状況だからこそ、ユーモアに満ちているといった方がいいだろう。私には経験はないが、人間は極限状態に追い込まれると笑うしかない、ということを何かの本で読んだことがある。石原の詩のユーモアは、まさにそういう笑いなのだ。笑いは時にあらゆる権力を無化する力になる。それは批判であり抵抗であり、「符号」としての人間につながる、最後の細い糸でもあるだろう。しかし、その放たれた矢は自らの内側にも返ってくる。詩は「ああそこにはたしかに俺もいる」と、内側の矢をしっかり受け止めて、言葉を選んでいる。

 詩のリズムに関していえば、だいたいは七五調に収まる。そのような七五のリズムを重ね、ややながい行を創りつなげ、その間に単発的な行を差し込んでいる。流れは決して愉快とはいえない列車の揺れの、やや憂鬱な気配をかもし出している。そして、そのような揺れにさらされていると、読む者は思うのだ。ラーゲリなどという特殊な状況ではなく、私たちも含めた、普遍的な状況の喩、寓話なのだと。都会での孤独死、たらいまわしにされる被災者、生活のため原発事故処理を強いられる人たち。「葬式列車」に揺らされているのは、まさに私たちそのものなのだ。

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