日めくり詩歌 自由詩 渡辺玄英(2011/11/11)

位置   石原吉郎

しずかな肩には
声だけがならぶのでない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である

(詩集『サンチョ・パンサの帰郷』(1963年)から)


シベリア抑留からの帰還者、石原吉郎の第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』より詩「位置」を紹介したい。

ところで、現代詩のアンソロジーが編まれるときに、同詩集の「葬式列車」という詩が取り上げられることが多い。それが解せないところで、どう見ても今から紹介する「位置」の方が優れているように思えてならない。「葬式列車」は、半分亡霊になった男たちが、行き先の分からない列車で運ばれていく様子が描かれている。傷ついた半死半生の亡霊はそれなりの禍々しさと放心に近い絶望をわたしたちに伝えてくれるものの、中盤までの語り口はいささか冗長にすぎる。さらに、それらは戦争という背景に支えられて成立しているリアリティではないだろうか。戦争という言葉は「葬式列車」に登場しないが、それ抜きで「葬式列車」は語り難いのだ。

一方、「位置」を見てみよう。こちらは戦時であるとか、虜囚であるとか、そうした事実背景を知らずに読んだとしても、ただならぬ緊迫感を受けとることができるはずだ。「しずかな肩には/声だけがならぶのではない」という否定を経て、「声よりも近く/敵がならぶのだ」と、きわめて接近して敵が存在していることが示される。この絶妙の距離設定。むろん「しずかな肩」という冒頭の言葉があることで、殊更「敵」との緊迫の度合いが深まっている。

八行目、九行目の「無防備の空がついに撓み/正午の弓となる位置で」の二行もいい。冒頭の「しずかな」と同様に、ここでも「無防備」が効いて、弓が引き絞られたギリギリの緊張が伝わってくる。ギリギリの一点、そこだけにしか「君」の許される位置は存在しないのである。その位置で「呼吸し/かつ挨拶」するしかないのだ。「挨拶せよ」と容赦のない命令形なのも注意したいところだ。

「敵」が何か、本作では明示されない。しかし、このような「敵」は、確かに現在のわたしたちの世界にも(その緊急度、危険度はともかく)存在するはずなのだ。そう読めるリアリティがこの「位置」にはある。作品背景の知識とは無縁の、言葉の力だけでそれが伝わってくる。

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