四十五番 もう暗い
左持
足もとはもうまつくらや秋の暮 草間時彦
右
流灯を離し掌もう暗し 小川軽舟
「秋の暮」といえば、季語の中の季語ともいうべき存在ですが、この頃はちょっと濫用かとも思えるケースをまま見かけます。こういう由緒の重い、働きの強い、それでいて気分本意の季語こそは慎重に使いたいものです。同じように由緒が重く、働きが強くても、「桜(花)」や「月」であれば、こんな印象はもたらしません。実体があるからには、出来上がった句は下手か上手か、佳いかつまらないか、それで済みます。しかし、「秋の暮」のような言葉は、一句の出来不出来に止まらず、作者のお里みたいなものをあらわにしてしまうようで、作者のためにも俳句のためにも、時に傷ましい気分にさせられることがあります。
いつもながらの贅言、失礼いたしました。とにかく、そこへゆくと左句などは、平俗な語り口のうちに、季語の本意を新鮮によみがえらせていてさすがです。……と、ここで“本意”などと簡単に申しましたものの、この季語がある時代以降、俳句用語としては秋の夕暮れを第一義としながら、歴史的に大暮(季節の暮れ)と小暮(一日の暮れ)との間で意味が揺れているのはよく知られる通りです。そのあたりの事情はどの歳時記にも書いてありますが、中でも山本健吉の『基本季語五〇〇選』の説明がいちばん納得がゆきます。山本は一連の解説を、
今日では虚子が、「今は春の暮・秋の暮共に夕方の義と定めて置く」と言い、秋の夕暮として用いる人が多くなったが、この季語の長い歴史を考えれば、そう簡単に決定してよいかどうか。今は両義にわたる曖昧な季語としておく方が妥当だろう。
と、纏めていて、いつもながら整然たるものです。私はこれに従っておきたい。例えば左句にしたところで、ここに詠まれているのが夕暮れの時刻(小暮)であることは間違いないとして、時節としては日が短くなったことがひとしお身にしみて感じられる秋の終わり(大暮)がふさわしいことは、言を俟ちません。少し前ならまだ明るかった同じ時刻にこんなに暗くなっているという驚きが、「もう」の感慨を呼び出しているわけです。また、「足もと」の語が、単なる視界の暗さを超えて、万物衰頽の思いへつながる寓意的な広がりをも(さりげなく)生み出している点も見落としてはならないでしょう。まさに、「両義にわたる曖昧」さを、最大限に生かした秀句なのです。
右句もまた巧妙です。時間的には、「流灯」の明かりがそれを水に置いた「掌」に届かなくなるまでの須臾の間にフォーカスし、空間的には「掌」のみをクローズアップしているように見えますが、それでいてその人の全身を包む闇の深さと、用意した「流灯」を捧げ持って水辺にしゃがむまでの一連の動きをも感じさせます。ひとつには、この場合もやはり「もう」がよく利いていて、「掌」に乗っていた「流灯」の明るさを反射的に想起させるからです。この「もう」はまた、「流灯」と「掌」の間に生じた(今のところは)わずかな距離を、わずかでありつつ絶対的なものとして提示する効果も併せ持つでしょう。そこに集中する視線・意識が、ひるがえって行為にこめられた思いの深さを暗示する――一描写に徹した言葉が、おのずから豊かな余情をひきこむという意味で、典型的にして理想的な俳句性を発揮した句ではないでしょうか。
というわけで、ハイレベルの引き分けかと思います。
季語 左=秋の暮(秋)/右=流灯(秋)
作者紹介
- 草間時彦(くさま・ときひこ)
一九二〇年生まれ、二〇〇三年没。掲句は、第三句集『櫻山』(一九七四年 永田書房)所
収。ただし、引用は『花神コレクション〔俳句〕 22 草間時彦』(一九九四年 花神社)
より。
- 小川軽舟(おがわ・けいしゅう)
一九六一年生まれ。藤田湘子に師事し、「鷹」主宰を継承。掲句は、「鷹」二〇一一年十一月号掲載の「少年」十二句より。