日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/11/28)

四十七番 息を合わせる(俳句の「型」研究【7】)

月明の水母に息を合はせたり 鍵和田秞子

右勝

瑠璃蜥蜴さみしからずや息合はそ 藤田湘子

“○○と息を合わせる”というのも、どうやら俳人好みのフレーズのようです。最近も掲出した左句と他にもう一、二見かけたのですが、それらはきちんとチェックしなかったのでどこかに紛れてしまいました。

左句は、「月明」が秋の季語、「水母」が夏の季語ですが、出典の排列からして秋の句として作られたようです。満月かそれに近い月明かりのもとで、港の桟橋のようなところから水母がたゆたうさまを眺めている場面でしょうか。海水の動きも、それに連れての水母の動きも、いわば人間の呼吸のようなリズムを持っているわけですから、この「息を合はせたり」の表現には全く無理がありません。

一方、右句ですが、出典となった句集にはじつはもう一句、

齢古稀春潮と息合はすなり

という作を見ることが出来ます。こちらは一九九五年の詠で、「瑠璃蜥蜴」の句は翌一九九六年のもの。先行する「春潮と息合はす」の表現には、自我の肥大感と開放感がないまぜになったような印象があり、作者がこのモティーフに執着していた理由がよくわかる気がします。

さて、左右両句の比較ですが、右句が勝っているのはまず争われないでしょう。左句の無理のなさは、表現の平板さと裏腹であり、「月明」と「水母」の取り合わせも陳腐と言わざるを得ません。対して右句では、“息を合わせる”相手が「瑠璃蜥蜴」であるところで、すでに軽く意表を突かれます。名詞切れの上五、中七の疑問形の呼びかけ、下五の口頭語風の締めと、フレーズ毎のきびきびした転調が、ひくひくと細かに動きまわる蜥蜴の身ごなしや、ぴろぴろした舌のひらめきにうまく対応しているでしょう。特に下五の「息合はそ」は、手のひらに乗る程の小さな相手に、声をひそめて呼びかけるような親愛の調子がよく出ていて、絶品の表現だと思います。さらに言えば、その親愛感に抑制が効いているのも、ある意味、俳句らしくていい。例えば、若山牧水の「白鳥はかなしからずや…」が、青春の力いっぱいの詠嘆であるとすれば、ここにはそういうなりふりかまわぬ力いっぱいさとはすでに遠い、余裕を保った態度が認められるわけです。

季語 左=月(秋)/右=蜥蜴(夏)

作者紹介

  • 鍵和田秞子(かぎわだ・ゆうこ)

一九三二年生まれ。「未来図」主宰。掲句は、「俳句」誌二〇一一年十一月号掲載の「富士秋天」より。

  • 藤田湘子(ふじた・しょうし)

一九二六年生まれ、二〇〇五年没。掲句は、第十句集『神楽』(一九九九年 朝日新聞社)所収。

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