日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/12/21)

五十二番 彼奴

彼奴きやつもカダフィ大佐氣取に馬醉木あしび終る 塚本邦雄

右勝

金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り 中村草田男

ツイッターめぐりをしていたら、どこのどなたなのか、Blue Mountainという人が、「彼奴」というキーワードで俳句を並べている呟きに遭遇。その中から二句を拝借しました。

カダフィ大佐も、終わりが悲惨だったのは因果応報ながら、かつては若き革命家にして反欧米強硬派として輝いていた時代もあったわけです。日本人には感覚的によくわかりませんが、アラブ人にはもちろん、欧米人にとってもかなりセクシーな、いわゆるチョイ不良(チョイじゃないわけですが)な魅力を備えてもいたらしい。左句は一九八七年刊行の句集に見える句なので、当然そういう輝きを発していた頃のカダフィ大佐ということになります。「カダフィ大佐気取」というのはしかしどんな気取り方なんでしょうね。もじゃもじゃのヘアスタイルとか、サングラスとかですかね。たまたま顔の作りが似ているのを、本人も周りも意識しちゃってる、そんなところでしょうか。もちろん、言動の面も含めてなのかもしれません。なにしろまだ、ソ連崩壊以前なのですから。「馬酔木終る」は純然たる感覚的な取り合わせすが、可憐かつ野暮ったいあの花の感じは、まずはうまく付いているのではないでしょうか。しかも、その花が「終る」形で提示されているのが、今年に限ってはなかなかしんみりと余韻を引きます。単に、遠い異国の独裁政治が終わったというだけでなく、いろんなものが終わった、終わってきた、終わりつつある、そんな年の瀬でございます。

左句の「彼奴」が半ば親しみをこめた用法のように思われる(「あいつ」の詩語でしょう)のに対して、右句の「彼奴」にはストレートな憎しみがこめられているようです。第二句集『火の島』にある昭和十四年の句で、「金魚」は夏の季語ですが、前後には、

人あり一と冬吾を鉄片と虐げし
教師立ちて茶色の光大試験

という句が並んでおりますので、作られたのはじつは晩冬から初春にかけてらしい。直前の句の、冬の間中、自分を鉄片のように(この比喩もまた乱暴な)虐げてきたその「人」こそが「彼奴」と考えていいのでしょう。要するに、職場(あるいは俳句方面)の人間関係の愚痴が名句になってしまったものであるらしい。「金魚」ですけど、この金魚については岸本尚毅が『俳句の力学』でいろいろ書いていて、それに対する上田信治のレスポンスが「週刊俳句」に出ていて、なかなか面白いので興味のある人は読んでみてください。わたくしとしてはただ、その頃、中村家では金魚を飼っていたという身も蓋も無い事実だけを指摘しておきます。少なくとも前年に以下の二句を作っております。

凍金魚ラヂヲの声に息吹あり
金魚あぎとひ主婦また同じ二間掃く

なぜ、手向けるのが金魚なのかですが、とりあえず自分のものであり、水槽の中にいて逃げないので、実際に手向けとして供えるのに適しているという理路もあるでしょう。この頃の草田男の句には、猫とか蜥蜴とか玉虫とか小動物がいろいろ登場しますが、どれもお供え向きではないわけです。供えるために殺すのはいかがなものかと思いますし、籠に入れるという手はあるにせよ、最初から水槽の中にいるのが前提になっている金魚に比べると、少々まどろっこしいですな。彼奴を肉屋の鉤に吊るすのは幻想でも、手向けるものについてはナンセンスでありながら現実的なものが選ばれている、ということではないでしょうか。この辺の幻想性と現実性のバランスの取り方というのは参考になりますね。金魚という言葉の効果ではなく、効果の前提についてお話させていただきました。

塚本邦雄の俳句には悪口を言う人が多いですけど、左句は佳いと思います。少なくともわたくしはかなり好きです。しかし、やっぱり余技的な甘さがあるのは確かで、右句の気迫のこもったイリュージョンには及ばないでしょう。右勝。

季語 左=馬酔木の花(春)/金魚(夏)

作者紹介

  • 塚本邦雄(つかもと・くにお)

一九二〇年生、二〇〇五年没。戦後短歌を代表する歌人。掲句は『甘露』より。同句集は、

『俳句の現在 別巻Ⅰ 安東次男集 塚本邦雄集 結城昌治集』 一九八七年 三一書房)

所収。

  • 中村草田男(なかむら・くさたお)

一九〇一年生、一九八三年没。掲句は、第二句集『火の島』(一九三九年 龍星閣)所収。

ただし、引用は『現代俳句大系 第3巻』(一九七二年 角川書店)より。

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