「理髪店にて」 長谷川龍生
しだいに
潜(もぐ)つてたら
巡艦鳥海の巨体は
青みどろに揺れる藻(も)に包まれ
どうと横になつていた。
昭和七年だつたかの竣工に
三菱長崎で見たものと変りなし
しかし二〇糎(サンチ)備砲は八門までなく
三糎高角などひとつもない
ひどくやられたものだ。
おれはざつと二千万と見積もつて
しだいに
上つていつた。
新宿のある理髪店で
正面に嵌(はま)つた鏡の中の客が
そんな話をして剃首(そりくび)を後に折つた。
なめらかだが光なみうつ西洋刃物が
彼の荒(すさ)んだ黒い顔を滑(すべ)つている。
滑つている理髪師の骨のある手は
いままさに彼の瞼(まぶた)の下に
斜めにかかつた。
「荒地」が二人続いたので今回は「列島」の詩人を取り上げたい。
「列島」は長く「荒地」と共に戦後詩の原点だったが、最近では部が悪い。共産主義との関係が深かったため、どうしてもイデオロギーの色彩が強く、その分言葉の強度が弱いのが、その理由のひとつだろう。また運動自身、詩そのものの運動であると共に、詩のサークル運動的な側面もあり、引き裂かれていたことにもよる。
しかし、その中でも黒田喜夫や長谷川龍生など、日本人の内的制度の暗部まで届く、詩を書いた数人がいる。
長谷川は1928(昭和3)年生まれ。終戦の時は17歳と戦後第一世代の詩人では若い方だ。掲出の詩は1957(昭和32)年、29歳で刊行した『パウロウの鶴』(書肆ユリイカ)に収録されている。時代は岸内閣成立、日本が国連安保理事の非常任理事国になり、最初の原子力発電の灯がともるなど、戦後体制が確立した頃だ。民意を無視した強引な政治に、多くの不安と怒りが渦巻いていた。
長谷川というと長編詩に傑作が多く。長い河のようなうねりが人間の暗部をさらいだし、グロテスクなイメージとして屹立する。殺意や狂気を言葉にリズムにまで高めた詩人ともいえる。それと共に、掲出の詩のような短い場面を切り取り、提示する作品の名手でもある。
今回、この文章を書くため詩集を開いてみて、意外だった。私はこの詩をずっと散文詩だと思っていたのだ。というのは行をつなげれば、散文の書き出しといってもおかしくない。この行あけ散文的な文脈を詩として成立させているのは、二つの連の間の深い溝だろう。まったく説明なく、ただ並べて置かれている。二つを物語としてつなげようという、作者の意思はない。二つの情景が引力と斥力に引き裂かれながら、イメージを増幅していく。これはいわゆるダブルイメージの手法だといってしまえば、それまでなのだが、では誰が見て誰が語っているのかと考えると、背後から無数の物語が浮かんでくる。
また、読んでギクシャクとした居心地の悪さを感じるのも、言葉が七五調に収まらないよう、字足らずや字余り、さらに長い字数のつながりなどを多用しているからだろう。
あくまで作者は後方にいる。不穏なイメージとリズムを提示しただけで、作者は手を引くことにより、読み手の中でそれぞれの不穏が育っていく。