日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2011/12/29)

五十四番 除夜の鐘

左勝

除夜の鐘百八つめが人語めく 澁谷道

電線に月かかりいて除夜の鐘 和田悟朗

二〇一一年も押し詰まっての年内最後の句合わせ、お題は「除夜の鐘」でございます。当句合せの各回のテーマは、出来るだけ季語は避けておりますし、アップ時の季節への配慮もしておりませんが、たまには例外があっていいでしょう。

採録はともに「俳句」二〇一二年一月号の「新年詠8句」欄からでございます。後藤比奈夫、金子兜太を筆頭に、長老二十七名が新年詠を寄せております。面白いのもそうでないのもあります。総じて面白くないです。中では津田清子「雪は誰のもの」、小原啄葉「初日」、澁谷道「初笑まひ」、矢島渚男「暦」なんかが佳かったです。大峯あきら「南部富士」のうちには、

竹生島すぐそこに年改まる

という句がありました。大峯先生の「すぐそこ」病については、当句合わせ五番(五月十八日アップ)にてご報告させていただきましたが、年は改まってもこの病気は改まりそうもありませんね。

さて、左句。この句を含む澁谷先生の八句は、不気味な嗜虐性みたいなものが漲っていて、全句集を纏められても道ワールドはゆるぎなく健在と拝誦しました。煩悩を払い、邪を除くはずの除夜の鐘なのに、その鐘の声が「人語めく」だなんてホラーですね。しかし、そもそも煩悩と煩悩を払う鐘の霊力は、百八という数字を媒介にして結びついているわけで、百八という数字は正邪の両義的な連想を誘う必然性を持っているとも考えられます。例えば、水滸伝の英雄たちも百八の魔星の生まれかわりでした。魔であり、アウトローであり、正義を行なう好漢であったわけです。そのような百八という数字が帯びるアウラだかフォースだかを「人語めく」と感受する点に、この句の主体の溌溂たる面目があらわれております。「ゆるぎなく健在」とはまずはそのことであります。

右句は、和田悟朗先生の「阿修羅」から。醜悪な電線に、不吉なほど冴え冴えとした寒月(満月かそれに近い月がいいですね)が掛かった情景。いや、どこにも醜悪とも不吉とも書いてはないのですが、左句の不気味な印象にひきずられてしまったようです。そこまで色付けして読まないでも、充分に情感のある句です。悪くないです。でも、左句の幻想の強さの方がやはり魅力的です。左勝。ちなみに左句の前後をはさむ二句もご紹介しておきましょう。

残響のくらがりに艶除夜のかね
残響の鐘にかさねて初笑ひ

これ、やっぱり関西のテイストだと思いますね。この「初笑ひ」なんて、大正日本画の甲斐庄楠音が描いた花魁の笑いみたいじゃありませんか。いわゆるデロリの美でございましょう。そんなこんなで、みなさま、どうぞ良いお年を。

季語 左右とも=除夜の鐘(冬)

作者紹介

  • 澁谷道(しぶや・みち)

一九二六年生まれ。「海程」同人。一九九六年、「紫薇」創刊。句集多数。

  • 和田悟朗(わだ・ごろう

一九二三年生まれ。「風来」代表。句集多数。

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