日めくり詩歌 自由詩 森川雅美(2012/2/6)

夜の手 新井豊美

呼気が夜をふくらませた
果肉に埋もれて種子はまどろんでいた
四粒のかたい眠りの中を
水の蛇がうたいながらよこぎってゆき
一滴、一滴
天空の水が中心に注がれた
 
眠れぬひとよ
そのおおきな手はどこからかやってきた
土地を覆うしなやかなくろい手首
翳に怯えている青草の上で
伏せた掌は跳ねる鼓動をつつみ
しずまるように宥めていった
 
多忙な手はこうして
さまざまな夜を育てていた
とりわけ枝垂れた地上の木
枝ごとに吊されたすっぱい果実
揺籠を揺らす手は
幼い種子を太らせた
 
声は押し流されてゆく
あたらいし手がやってきてくりかえし揺籃を押す
誰のことば?
何の歌声?
左手にコトリと
子らの耳は傾いていた

 今回はイレギュラーで、先ほど亡くなった新井豊美さんの詩を取り上げる。個人的なことからはじめるが、新井さんは私にとって、「現代詩手帖」の投稿の選者だった。第一詩集の栞も書いてもらい、その後もいろいろとお世話になった、たいへん恩のある詩人の一人だ。

 新井さんの詩の出発は遅い。1935年に生まれていて、詩を書き出したのはは30代半ばとのこと。第一詩集の『波動』を刊行したのは1978年で、43歳の時である。しかも、詩を書き始めるまで、音楽や絵画などに関わっていて。観念的ではなく、ものをものと捉えるれ冷静な目を養っている。そのため第一詩集から、安易な感情の吐露や上ずったところがなく、自分の感覚を極めて的確に思考し、言葉にしている。とはいえ、難解や生硬なところはなく、今まで培ってきた時間や出会いが、やわらかく流れだしてきた感じだ。

 掲出の詩は、そのような新井さんの詩の思考が、より深まりを見せた、1992年に刊行され高見順賞を受賞した、『夜のくだもの』に収録されている。言葉は難解でなく日常のものだが、浅くはない。冷静に物事を捉えているか、今にも水分が零れ落ちそうにみずみずしい。

 まず書き出しは「夜」という大きな表現で、続いて「種子」とごく小さい部分に視点は移っていく。さらに、次の行では「四粒」と具体的に示され、像が明確に浮かんでくる。ここまで読んでいくと、優れた筆の動きを見るように、詩の世界に引き込まれる。また、そこから「水の蛇」へと、波打ちながら視点が移っていく、言葉の反射神経が実にいい。そして、2連目では、この詩集の、というより新井の生涯の詩で重要なモティーフの、「大きな手」が出てくる。「大きな手」は超越者のものであり、過去の様ざまな人のかたちであり、現在の誰かの生きる時間でもある。そのような幾つもの時間を孕みながら、世界を包みこむ。

 しかも、詩は微妙な音のずれを孕みつつ調和に向い、安定のバランスを保っている。書き出しは「六六、四七七、七八、六六六、四四、八五五」と、安定と逸脱を繰り返している。二、三連は比較的に音は安定している。最終連では、定型でいえば句跨りの「五七」ではじまり、「五六五七」と音は安定しているが、全体の中で極端に長い行のため、不安を孕む。そのあとは比較的短い五七調の行が続き、静かに言葉はながれていく。

 しかし。まだまだ解けないなぞがある。最終連の二つの問いかけは誰の声だろうか。その声の主が不明ゆえに、結びの子らは、世界の重さとつりあっている。読み終えた後に、深い沈黙が残る。

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