日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2012/03/08)

六十九番 自然を詠む、人間を詠む(二)

左持

数千万人人体実験中正月 関悦史

蓑虫もとうに絶滅危惧種といふ 関悦史

長谷川櫂『震災句集』に対する関悦史氏や島田牙城氏の批判は、それ自体としてはいちいち的確だとは思うのですが、何か根本的なことを忘れているような気がします。それはつまり、人は何のために俳句を作るかという目的です。より端的には、長谷川櫂氏はなんのために俳句を作っているかということです。長谷川氏が、すぐれた句を作ることで、以って歴史に名を残そうとして俳句に携わっていることは、私には疑いを容れません。そして作品によって名を残すという目的のために、長谷川氏が徹底的にエゴイスティックであることを、私はそんなに否定的に見ることはできません。もちろん、氏の一貫した上から目線には常々違和を感じてきましたが(長谷川俳句の帝王ぶりについては、以前、「豈weekly 」に長々と書いたことがあります)、それは必ずしも震災詠の問題ではなさそうです。俳句は全ての事象を詠めると公言してきた長谷川氏にしてみれば、自らの美学で震災の現実を詠みきってみせることは避けられず、歌集の方はともかく、句集の方はその意味で、長谷川氏なりの必死の応えなのでしょう。

関氏の句集『六十億本の回転する曲がった棒』の、九章からなる最後の章には「うるはしき日々」のタイトルで震災後の生活を詠んだ作品が集められています。初読の折り、大いに期待して読みましたが、少々がっかりしたことを覚えております。面白い句はありますし、文体見本帖のようなこの句集の中でひとつの役割を果たしていることもわかります。しかし、はっきり言って期待程ではありませんでした。期待が大きすぎたのかも知れません。ここで私の妄想的希望を勝手に述べさせていただければ、関氏には是非、島田氏のところから、長谷川氏のそれを圧倒する独自の『震災句集』を刊行していただきたいものです(というようなことを書いていたら、早速、「豈」の次号に向けて「俺の震災がこんなに妹なわけがない」を発表する予定とのツイートあり)。

さて、句合せに移ります。左句はもちろん原発事故の問題を詠んでいます。今後、被爆の影響がどのような形で現われるのかよくわかりません。大変なことになるのかも知れないですし、案外大したことは起こらないのかも知れません。どちらにせよそれがひとつの人体実験であるというのはその通りでしょう。その事実に「正月」というめでたかるべき季語をとりあわせた、この上なく苦い茶化しの句でありましょうか。

右句は、詠まれている事実にまずは驚かされました。うかつにも私は知りませんでしたが、蓑虫(ミノガ)は、外来種のヤドリバエの寄生により今や個体数を激減させており、絶滅危惧種に指定している自治体も少なくないそうです(そういわれてみると見ませんね、蓑虫)。一句の眼目は、「とうに絶滅危惧種といふ」という関心が、「蓑虫」が秋季の重要な季語であるという俳句の制度に由来するという筋道を、俳句の形で示してみせたところにあるのでしょう。愛ではなく、制度こそが関心の根拠になっている、ということです。

両句ともごくストレートな表現で、「正月」「蓑虫」という季語をイロニッシュに生かしております。持。

季語 左=正月(新年)/右=蓑虫(秋)

作者紹介

  • 関悦史(せき・えつし)

一九六九年生まれ。句集に『六十億本の回転する曲がった棒』(二〇一一年 邑書林)

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One Response to “日めくり詩歌 俳句 高山れおな (2012/03/08)”


  1. 2012年4・5月 凍星や孤立無援にして無数 高野ムツオ(野口る理推薦) : spica - 俳句ウェブマガジン -
    on 5月 13th, 2012
    @

    […] 野口  詩客の日めくり詩歌 俳句ですね。 […]

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