山中従子「遊園地」
建物に取り囲まれた広場にいた 私は赤いペンキが塗られた
ドアに手をかけた ドアを開けるとなかは真っ暗だった お
そるおそる手さぐりで進んでいくと鉄の梯子があった 梯子
を摑むと手錠をはめられた気分になった 私は登りはじめた
ずいぶん登ったとき 目の前に血塗られた人が急に舞い降り
てきた それは暗闇に光る映像だとわかっているのに背筋が
寒くなり逃げ出したくなった 戻ろうとすると足の下にはも
う梯子は無かった このまま登るしか道はなかった どうに
か天井までたどり着くと一本の手が伸びてきた
私は食堂にいた 大勢の客が犇めいていたが 彼らはすべて
映像で存在している人物だった 男が「何か食べるか」と聞
いた さっきの私を引き上げた手の男だ 黙っていた「フィ
ーだね おまけ券の」と男は言って私の手に紙の包みを載せ
た 包みのなかは何のことはないお好み焼きだった
ずっと向こうに幼なじみの親友が見えた ほっとして走り寄
ると 彼女は私の手からするりとこぼれ落ちた 彼女も映像
だった 食堂の前に竹でできた垣根に囲まれた庭があって
木戸を開けるとその向こうは海だった それも映像だった
(澪標『死体と共に』所収、2012年2月)
私がこの詩を読み進める中で最初に思い浮かべたのはお化け屋敷のことです。
タイトルの「遊園地」そして「ドアを開けるとなかは真っ暗だった」「目の前に血塗られた人が急に舞い降りてきた」といった文から、この詩は遊園地にあるお化け屋敷のことを書いているのだろうと判断しました。
けれども、読み進むにつれてここに現れているのはとても奇妙なお化け屋敷であることがわかります。
「大勢の客が犇めいていたが 彼らはすべて映像で存在している人物だった」
「ずっと向こうに幼なじみの親友が見えた(中略)彼女も映像だった」
「木戸を開けるとその向こうは海だった それも映像だった」
私は怖いものが苦手なので実際のお化け屋敷についてはよく知りません。
でもたぶん、大勢の客や幼なじみの親友や海の映像が出てくるのは普通のお化け屋敷ではないでしょう。
お化け屋敷には、ガイコツや幽霊やゾンビが出てくるものです。
山中従子さんの『死体と共に』は全篇にわたってとてもたくさんの「死体」という語が出てくる詩集です。
これほどたくさん「死体」が出てくる詩集を私はほかに知りません。
ここに紹介した「遊園地」という詩には、珍しく「死体」という言葉が見られないのみならず、お化け屋敷について書いているにも関わらず、死体に近い存在であるはずのガイコツも幽霊もゾンビも登場しません。
そのかわりに登場するのが映像です。
映像もまた死体によく似た存在であるということに、この詩を読んで私は思い至りました。
なぜなら映像とは、かつてあっていまここにない何かを見せるものだからです。
だから依然としてこの詩は、映像という「お化け/死体」が出てくるお化け屋敷のことを書いた詩であると言っていいはずです。